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電気自動車(EV)化への急速な流れについて

株式会社 関電工
プラント設備部
金子 啓市

 現在の主流を占める内燃機関(ガソリンやディーゼルエンジン)を動力源とする方式の自動車から、電力で走る電気自動車(Electric Vehicle=EV)への移行の流れが急速に進行しています。
 その理由を考えますと、
  1.地球温暖化の主因と考えられる二酸化炭素の排出量を減らす必要がある。
  2.中国の北京やインドのニューデリーなどの都市の自動車の排出ガスによる
    環境悪化を改善する必要がある。
  3.国の産業育成政策の中で、新しい産業分野としての電気自動車製造分野を
    創出し、経済発展の原動力とする。
 等の項目があげられます。
 以下に、もっと具体的内容および、日本の経済に対する影響などを考えたいと思います。

二酸化炭素(以降CO2と表記)の排出量削減の効果について

 電気自動車は、駆動源の電気モーターを蓄電池に蓄えた電気により回転させて馬力を得ています。したがって、電気自動車単体では、使用時にはCO2は排出していません。しかし、エネルギー源の電気は、現在、おもに火力発電所で石炭・石油・LNGなどの化石燃料を燃焼させることにより得ています。したがって、走行時の電気消費量により、電気自動車のCO2排出量が算出できます。発電所からの送電ロスを含めた総合的な計算で、1km走行あたりのCO2排出量(g-CO2/km)はガソリン車の25%程度のようです。電気自動車への移行は確実に環境対策としてのCO2削減に効果がありそうです。
 さらに、発電所は集中的に化石燃料を燃焼させて電気を得ているため、新しい技術による高効率化や環境対策の効果を得やすい。このことは、現状の自動車では個々に対策をしなくてはならない場合と比較すると大変効率的です。

各国のEV化への対応とその思惑

 欧州では2021年以降のCO2以降の規制強化に備えて、ディーゼル車からEVへのシフトが予想されていましたが2015年にフォルクスワーゲン(VW)による排ガス不正問題が、この動きを加速させています。ディーゼルエンジンの規制強化に対応するために、多くの時間やコストを掛けるくらいならEV化により一気に解決したいとの思惑があるようです。
 中国では政府により、今年9月末にEVシフトを大きく加速させる政策は発表されました。EV車等の新エネルギー車にポイントを与え、メーカーは一定以上のポイント割合で自動車を生産しなければならない政策です。大まかに言って、電気自動車の生産割合を一定以上にしなければならず、年ごとにその割合は増加させるとの政策です。中国国内のメーカーではすでに目標値をクリアーしているところもあり、かなり中国国内のメーカーに有利なものです。
 自動車製造業界で他国に差をつけられた製品開発力、製造能力をEV化により逆転させたいとの大胆な政策です。

日本のEV化への対応

 日本の自動車メーカーはつい最近までEV化に積極的に対応していませんでした。部分的には、トヨタ、ホンダがハイブリッドカー(HEV)を、三菱自動車・日産がEV車を販売していました。積極的でなかったのはなぜでしょうか?理由は EV化を進めれば自分達の首を絞める結果になると考えていたからです。既存の自動車は、一台当たり数万点の部品から出来ています。
 パワートレインと呼ばれるエンジンで発生した動力を車輪に伝えるための機構(エンジンやトランスミッション)をメインに、冷却系・振動防止系・排ガス処理系・制御回路系と様々な役割を持った機構からなる複雑な構造となっています。
 ちなみに、最近の日本国内の自動車工場新設設備投資の例として、ホンダが行った例があげられます。
 埼玉県小川町にエンジン専用の工場建設に450億円を投資し、さらに近くの寄居町に車体のメインの部品製造や最終車組のための工場建設に1100億円を投資しました。いかに、自動車製造の設備投資に巨額の金額が必要となるかがわかります。
 大量製造大量販売を前提とした業界なのです。新規参入が困難な業界なのです。
 既存自動車メーカーは先行メリットを守りたかったのです。
 EV化は劇的にこの新規参入障壁を崩す可能性を含んでいます。EVの部品点数は既存の自動車に比べ半分以下になるといわれています。EVの部品を機能分類すると、動力源のモーター、それを制御するインバーター、エネルギー源の電池などに分類できます。既存の自動車のエンジン・トランスミッション・排気系を始めとして多くの部品が必要なくなります。これは、巨大な設備投資や高度な技術開発力なしに自動車製造業界への参入が容易になることを意味します。先般、サイクロンクリーナーで地位を確立した英家電大手のダイソンが2020年までにEV市場に参入を表明しましたが、もっとも、端的な例です。既存メーカーは新規参入障壁が無くなり、経営環境が独占的でなくなる環境に対応するために様々な経営努力が求められています。

既存メーカーの業態の変化

 このような環境変化は、企業の組織体制の在り方さえも変えてしまう力があります。
 従来の自動車メーカーは大手メーカーがピラミッドの頂点に位置し、下部に部品メーカーを配置して製品開発や生産計画を連携を取りながら、最大のコストパフォーマンスを求めてきまた。しかしEVの生産では、組織体制は今までのピ ラミッド型は必要なくなります。シャシー・ボディーは今までのピラミッド型の組織を維持しながらも、EVの重要要素であるパワーコントロールユニット関係は水平連携の形になって行く可能性が大です。ここでいう水平連携とは、EVに必要なバッテリー・モーター・インバーターなどの部品をそれぞれに特化した企業から買い付け、それをメーカーが組み立てて出荷するという「組み合わせ型(モジュール型)」の生産で、チームワークより各部品それぞれの能力を最大限に利用してうまく統合するというニュアンスです。うまく、ハンドリングして、環境変化に対応すれば、それぞれの立場で存続ができます。しかし、このことは、日本のパソコンメーカーが最終的にはコンピュータの心臓部であるCPUをインテルにOSをマイクロソフトに独占され、単なる部品組み立て会社になり、主な利益はすべて2社に吸い上げられ、ほとんどのメーカーが外国に買収されてしまった現象と既存自動車メーカーが同じ運命をたどる可能性を秘めています。

エネルギー業界へのインパクト

 EV化の進展は、使用燃料が従来の石油から電気に変わるため、エネルギー業界にも大きな影響を与える可能性があります。
 ここでは、エネルギー業界の中でも特に変化を求められる電力業界について考えてみます。
 今日、電力業界では、発電量が一定ではない再生可能エネルギーの増加に伴い系統が不安定化しています。
 一例をあげますと、太陽光発電装置の発電量は、昼間には発電量が増加し夜にはほとんどゼロとなり、さらに天気にも左右され、必要とされる電力の需給量とうまくマッチングしないことがあげられます。そのため、定置用大型蓄電池な どの電力の需要量と供給量を必要に応じて調整する機能(以下、需給調整機能)が不可欠となってきています。この対応策として、今後普及が見込まれるEVはいわゆる走る蓄電池であるため、電力業界からは需給調整機能としての役割を期待されています。EVの車載電池から系統に融通する技術がうまく確立されれば、再生可能エネルギー導入のための調整力に貢献できる可能性があります。EVの車載電池を群制御できれば、需給調整用の大型蓄電池の導入を抑制できるため、系統整備のコストを引き下げられる可能性があります。

まとめ

 EV化は時代の大きな流れとなることは、間違いのない事実になります。
 日本にとって、プラスとマイナスの要素が混在して、様々な業界に影響を与えながら進行します。変化はチャンスと捉え、日本の技術開発力を信じ、フットワークを軽くしてタイムリーに対応すれば、日本の発展の大きな原動力になるのではないでしょうか。

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ライダー

株式会社ユアテック

電気設備部

小川 克郎

はじめに

 私とオートバイとの出会いは、昭和59年に25歳で普通自動二輪免許(中型)を取得し、ホンダのCBR400を購入して乗り始めたのが始まりです。年齢的には遅い乗り出しでしたが、まだ数人の友達がオートバイに乗っていました。
 当時は空前のオートバイブームで、「レーサーレプリカ」とか「ネイキット」と呼ばれるタイプのバイクが全盛を極めていました。
 また、今でも人気のある北海道へのツーリングもブームで、当時は「ミツバチ族」と呼ばれ、道内全域をライダーが走り回っていました。

1.ツーリング

私は今でもオートバイに乗り続けています。乗り続けるきっかけとなったのは初めて友達と2人で行った北海道へのツーリングです。
 お盆休みを利用してのツーリングであったためか、ライダーのほとんどが本州からのライダーで、対向車線を走ってきたライダーはほぼ全員がすれ違いざまに挨拶(ピースサイン)をしていました。また、観光地やコンビニの駐車場で知り合ったライダーと気軽に観光情報やツーリング中の出来事、バイクに関する話をしていました。
 この初めてのツーリングで、「知床半島の灯台」まで羅臼港より地元の小さな漁船に乗って、外洋の荒波を頭から被り濡れながら行ったり、現在は立ち入り禁止となっている「カムイワッカの滝」で滝壺温泉に入ったり、今では体験出来ないことをすることが出来ました。この時の「予期しない未知の体験」が、今でもツーリングを続ける要因になっています。
 いまでも私が全国をツーリングしているのは、有名な観光地を巡ることやツーリングスポットを走ることも楽しいのですが、ライダーと言う共通点により見ず知らずの人と気軽にコミュニケーションが出来ることが楽しみで乗り続けています。
 連休を利用してツーリングに出かける場合、1回のツーリングで3,000km位走るときも有りますが、この距離を車でドライブに出かけようとは決して思いません。
 しかし、車に比べるとオートバイは非常に過酷です。オートバイのシートは固く、長時間の走行時にはお尻が痛くなります。また、同じ姿勢でいるため、首、背中、腰、膝も疲れて痛くなります。
 天候が良ければ爽快なのですが、夏はエンジンの排熱で暑いし、冬は外気に体が曝されているうえ走行による風のため非常に寒いです。また、横風が吹けば車体が横に流され、雨が降れば前が良く見えません。常に「自然との闘い」が続きます。
 バイクに乗り続けることは、「苦行」を行っているように感じることも有ります。

北海道 国道232号線 (オロロン街道)
北海道 国道232号線 (三国峠)
山口県 角島大橋
島根県 県道338号線

2.ライダーハウス

ツーリングの際に、私が宿泊施設として利用しているのは「ライダーハウス」です。ライダーハウスとは、自転車乗り(チャリダー)かオートバイのライダーを主な対象とした簡易の宿泊施設です。利用料は、無料から3,000円程度で全国に有りますが、特に北海道と長野県に多いようです。
 ライダーハウスは営利目的で無く、宿主の善意により行われている場合が多く施設の形態も多種多様です。民宿や民家の1室から崩壊しそうなあばら家まで当たり外れがあります。夏のエアコン、冬の暖房も期待できません。
 また、基本的には寝袋持参の雑魚寝ですが、寝具が有るところも有ります。
 私はバイクの荷物を出来るだけ少なくしたいため、寝具が有るところを利用するようにしています。
 ツーリングシーズン(春から秋)の休日は混雑しており、一人あたりのスペースが狭くてゆっくり休めないことも有ります。年寄りの私には体力的にかなりきついのですが、一般の宿泊施設を利用せずライダーハウスを利用しています。
 利用する理由は、利用料が安いこともありますが、同宿するライダーとの会話(宴会)が楽しいからです。
 年齢、職業、出身地、性別も違う見ず知らずの人間が出会い、全国各地の情報や自分が経験出来ないこと、自分では考えつかないことを聞くことが出来るからです。

ライダーハウス (北海道)
ライダーハウス (北海道)

3.ライダー

ライダーには、いろいろなタイプの人がいます。私のように一人で全国各地をツーリングしている人、タンデムツーリング(2人乗り)を楽しむ夫婦、いくつになっても峠を攻めている人、「自分探しの旅」と称してカブ(ホンダのスーパーカブ50cc)で全国一周をしている若者、全国一周の途中で特定のライダーハウス(沼と称されている)に埋没する若者、全国の神社・寺院の朱印を集めている人、ライダーであるという優越感に浸っている人などなど。
 近年は20代のライダーよりも、若いときは金銭的に大型オートバイが買えなかった人、または昔の思い出(過去の栄光)を再現すべく50~60代でまたオートバイを乗り始めた「リターンライダー」、旧型の(一部リメイク若しくはデコレーションした)オートバイをこよなく愛している「旧車会」のメンバーが沢山います。
 皆さん思い思いに、仲間と若しくは一人で、それぞれ走りたいところを、それぞれのペースでツーリングを楽しんでいるようです。

北海道 宗谷岬
福島県 高速道路パーキング

最後に

近年、ライダー人口は年々減少しており、リターンライダーが居なくなる20年後位には絶滅危惧種に指定され、ライダーは「死語となるのでは」と懸念しています。
 私は将来の絶滅危惧種の一員として、経済的に、体力的に許す限り、未知の体験や未知の人種を求めて乗り続けたいと思います。
 オートバイは決して安全で快適な乗り物ではありませんが、その機動性、操作性において非常に楽しい乗り物です。興味のある方は、一度チャレンジしてみては如何でしょうか。

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お城探訪

高砂熱学工業㈱

東京本店 電気計装部

松原 正義

 はじめに

 歴史好きでなくても、NHK大河ドラマ好きは多いかと思います。大河ドラマには、必ずと言っていいほどお城が出てきます。昨年の大河ドラマ「真田丸」のオープニング画面は、雲海を望む山城で現存天守が残っている備中松山城でした。
 今回のコラムは、「お城」について。

1、お城とは

 お城といえば壮麗な天守や櫓群の建物や石垣と思われるが、 城の本質は敵を防ぐことを目的とした戦闘施設、防御施設である。近代城郭は江戸城の最初の築城者太田道灌から進化が始まり、織田信長の安土城、豊臣秀吉の大坂城と続き、関が原合戦以降も城郭建築ブームは続いていく。
 江戸期に存在した城は150程度といわれているが、その9割は大坂城以降30年間に築かれたか、改修されたものである。

2、築城 ~城造り~

1)縄張(なわばり)

 城は、「縄張」と呼ばれる設計図をもとに曲輪(くるわ:城の区画)の配置、掘割、建物や城下の町割までを含めた城つくりの全体的な設計計画をもとに造られる。城の構成として土塁・石垣といった塁壁、堀、虎口(出入口)、櫓、御殿、天 守などの建築物がある。

2)普請(ふしん)

 普請とは、城の基礎造りで、石垣、掘割などの土木工事を示す。江戸城や大坂城では各大名に天下普請を命じ、各大名は大きな石を運び各大名家の目印を刻印にて力を誇示した。

3)作事(さくじ)

 門、塀、櫓、御殿、天守等の建築物をつくる作業を作事という。我々が城に惹かれる大きな部分がこの作事にて造られたものである。

3、登城記

1)丸亀城(香川県丸亀市)

 日本一の高さの巨大な石垣と現存12天守の1つで小ぶりな天守の丸亀城。
 標高66mの亀山に建ち、「扇の勾配」と呼ばれる高石垣が見所。大手門から天守を望むとかなりの距離に見えるが、城内は公園として整備されており、適宜な散歩感覚で登城できるのも魅力である。

丸亀城

2)備中松山城 (岡山県高梁市)

 臥牛山にある日本三大山城で、本丸は標高430mに位置し、現存する12天守の中では最も高い場所に建つ雲海でも有名な城である。前記したように、一部CGは使われたものの、NHK大河ドラマ「真田丸」のオープニングに使われた城で、本丸まで行くには、駐車場から約20分の登山となり、自然の岩盤を利用した大きな石垣が見えたときの感動はひとしおである。
 また、別の登山道の途中には、あの大石内蔵助が城引渡しの談判に行く途中に休んだ腰掛石も残っている。

備中松山城

3)熊本城 (熊本県熊本市)

 名君・加藤清正が築城した天下の名城である。武者返しといわれる石垣は、一見揺るやかながら、上にいくに従って角度を強め急勾配となる。
 昨年4月の熊本地震により、この石垣、天守、櫓が大きな被害を受けたのは記憶に新しいところである。

4)国宝犬山城 (愛知県犬山市)

 木曽川のほとりに建つ城で別名白帝城と呼ばれる。対岸は、岐阜県(美濃)で国境に位置し、戦国時代は争奪が繰り返された。小さな天守だが、現存する12天守の1つで木曽川の対岸から見ると美しい天守である。
城下町もきれいに整備されおり、是非訪れて頂きたい城である。

熊本城
犬山城

まとめ

 お城には、その外観や建築物として魅力だけでなく、奥深い歴史が詰まっている。領土を拡大しようとする武士の野望、また敗れて落城する領主たちの気持ちが多く刻まれてる。お城を探訪することで、少しでも歴史を感じることができればと思う。

参考文献
 (1) 歴史発見Vol3 デーィプな城発見 ㈱学研パブリッシング
 (2) 日本の名城を往く  男の隠れ家特別編集 ㈱三栄書房

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今は昔 1975年頃

   会元計装士会事務局長

村尾 高明

1.海外で冷や汗をかいたエピソード

 当時、当時サウジアラビアでは、短期入国(トランジット扱い)のときには空港のパスポートオフィスにパスポートを預けなければ入国できませんでした。予約したホテルでは短期入国者はパスポートをパスポートオフィスに預けなければならないことを知りながら、パスポートの無い外国人は宿泊させられないと断られたのにはとんでもない所に来たと困惑しました。あちこち探して夜中の3時ころ、やっとパスポートの提示を求めない怪しげなホテルに部屋を取ることができました。
 入国時滞在が許可されたのは3日間だけでしたが、とてもこの期間では仕事にならなかったので滞在延長申請をすることなく2日間不法滞在しました。
 スポンサー(身元保証人?)に滞在理由のサポーティングレターを書いてもらい大事に身に付けていました。
 そして、入国6日目予約した飛行機に乗るべく空港に行きました。出発30分前に空港のパスポートオフィスの窓口に飛行機を予約した出国者のパスポートが約60冊並べられていて、各自探して自分のパスポートを取りその後チェックインするようになっていました。ところが、私のパスポートはそこに無かったのです。
 搭乗手続き終了まで残り時間30分程でした。滞在許可は切れているしパスポートはないし進退窮まった気持ちで、サウジアラビアの猛暑の中、汗が急に冷たくなりました。

2.その冷や汗ものの結末

 窓口の人に相談しましたが、話を全部聞いて理解したあとで薄ら笑いをしているだけです。
 空港ビルの隣のビルにパ スポートコントロールと書いてあったのを思い出しそのビルに駆け込みました。誰か職員を見つけて相談したい気持ちで、1階の廊下を突き当りまで行っても誰も通りません。2階に上がって初めて清掃扶がバケツを持って床を拭いていました。何を言っても3階を指差すだけです。
 何しろ残り時間はありません。
 3階に駆け上がっても廊下だけで人はいません。歩いて行くと廊下の中ほどの左側にアラビア語にPassport Office Managerと英語併記の扉がありました。
 助かった気持ちでノックしても返事はありません。部屋に入りましたが誰もいません。
 部屋には事務机が一つだけの閑散としたものでした。今は行動あるのみと机の引出しを開けました。鍵は掛かっていません。一段目はどの引出しもからっぽです。
やっぱり駄目かと思ったとき、「あった」左袖の2段目にありました。私の赤いパスポートだけが無造作に放り込んでありました。パスポートをつかんで廊下が無人なことを見定めて、見つからないうちに、捕まらないうちに階段を駆け下り空港ビルに駆け込みました。
 スポンサーのサポーティングレターに効力があったのでしょう、もう僕だけしかいないイミグレーションで出国スタンプがポーンと押されました。

3.日本では考えられないような「海外での常識」

 パキスタンのカラチの、サウジアラビヤ大使館にサウジアラビアの入国ビザを申請したところ、何故日本人がパキスタンでサウジアラビアの入国ビザを申請するのか理解できない、だから、日本大使館の保証文章を貰ってくるようにと言われた時の体験。
 日本大使館へ相談に行ったところ、職員のパキスタン人は親切に対応してくれましたが、日本人は話も聞かず全く相手にしてくれませんでした。日本人の大使館員に「こんにちは」と声をかけても完全無視でした。困ったときに助けてくれるのが大使館だと思っていましたが、それは間違いです。日本大使館は決してあてにならないことが海外での常識です。

4.思い出すと恥ずかしいこと

サウジアラビヤのジェッダにあるスークのはずれに趣味の切手売りが居ました。
 ちょうど 夜店のような一帖ほどの板に切手を並べて売っていました。
 そのとき見た外国の切手は見慣れないせいか、色鮮やかに美しく見えたので店の老人に思うまま誉めました。敬虔なイスラム教徒である老人はその切手を私にくれました。お金を払うといっても、切手を返すといっても聞き入れてもらえ ませんでした。
イスラム教徒の国では必要以上に誉めることは譲ってくれということと同じ意味であることを、その時つい忘れていたのです。その切手は10円程度の切手が並ぶ中で2000円くらいしました。

5.日本入国の裏技

 入国時、飛行機を降りた時点からロビーに出るまでどこからかカメラで監視されていると考えて間違いありません。ですから税関を通過するときにはすでに誰が怪しいかをコンピュータなどで係官に連絡済みです。そのため心配事があるときは、飛行機を降りたときから当たり前のような態度をしていなければなりません。どの係官の列の流れが速いか、係官は男性か女性かもチェックポイントです。(羽田の税関員のはなし)

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日本全国どこでもジャズ

アズビル㈱

ビルシステムカンパニー・マーケティング本部

福田 一成

 

~全国のジャズスポット・ジャズフェスを巡って~

ジャズは米国の音楽である。しかし今やヨーロッパ、アジアをはじめ世界中にジャズを愛好するリスナーと、演奏するミュージシャンがいる。海外に行くとそれなりの街にはジャズスポットがあり、CD・レコードショップにはジャズコーナーがある。旅行では必ずチェックして行くようにしている。そして我が国にも全国津々浦々にジャズを聴ける、聴かせる、時には演奏させる場があるのである。多くはあまり目立たない、そして一般の方には近寄りがたい雰囲気を漂わせ、自分達の孤高の世界を作っているようにも見える場がある。
 このコラムでは、私がこれまでに出かけて行ってその土地の方々と親交を深めた全国のジャズスポットやジャズフェスを紹介します。
 まずは北から、札幌狸小路のジャマイカ。レゲエの店ではありません、50年以上続いている老舗です。
 巨大スピーカJBLパラゴンの周りにレコードがびっしり並んでます。青森はJazz Time Disk 、きれいなターンテーブルが二つ並んでいる昔ながらのジャズ喫茶、地元のファンが暑くジャズを語ってました。
 仙台、ここは一般にも有名な定禅寺ストリートジャズフェスがあります。どう見てもジャズではないステージもありますが、東北・関東のビッグバンドが集まるいくつかのステージはアマチュアジャズの殿堂です。
 私も会社のビッグバンドで4年ほど出演していますが、その楽しさは仙台の温かいリスナーの皆さんのおかげかもしれません。その仙台のちょっと北、鳴子温泉でもミニ定禅寺フェスみたいのがありまして、鳴子温泉音楽祭という、演奏者もリスナーも温泉入って、こけし眺めて、ジャズ(的な)音楽を聴けるフェスです、温泉にはジャズよりボサノバが似合うと勝手に判断し、ここにはボサノババンドで1回出演しました。
 で、ちょっと越後方面に行きますと、新潟の一つ手前長岡に「音食(ねじき)」という少々恐ろしい名前のジャズカフェがあります。ここは地元のビッグバンドでテナーサックスを吹いているマスターがジャズのCDやライブを聞かせるはずなのですが、私が行ったときはビッグバンド野郎だと知れて、自分のバンドの映像DVDをたっぷり見せられました。
バンドへの思いが場を作っているお店です。

青森Jazz Time Disk
仙台 定禅寺ストリートジャズフェス
長岡 音食

さて、地元の関東は飛ばしまして、静岡。ここも夏にジャズフェスやってまして野外のステージと結構充実したライブハウスでのステージが同時進行します。
 IN OUT というキャッチフレーズがついてました。いくつかのステージ見て、友人が最後にちょっと外れたところの「炉辺人」という店に連れて行ってくれて、もちろん楽器持参でしたが飛び入りで2ステージたっぷりセッションできたのはほんとに楽しかった思い出です。IN とOUTのステージ帰りや、明日出ますなんてミュージシャンが次々にやってきて、メンバーがその場で曲名言うとすぐ始まっちゃう息の合い方はジャズの醍醐味です。私はスタンダードブックのページめくって途中から参戦なんてのもありでしたが。それと同時に一つ隣駅にあるグランシップ静岡でビッグバンドジャズフェスティバルもやってて、2日目の午後はそこへ出かけました。ステージに2バンドが右左に並んで、次々に演奏していく静岡ビッグバンド連盟の企画でどれもハイレベルでした。そうビッグバンド連盟ってのは、80年代の前半にローグスってバンド主催している伊波さんが全国に仕掛けていったもので、私も当時名古屋にいて、地元のビッグバンドが競い合うBe Happy Jazz Fesってのに毎年出ていたものです。

青静岡 炉辺人
ジャズインラブリー
名古屋ボトムライン (レアサウンズ)

その名古屋ですが、今も健在の私の古巣バンド Rare Sounds Jazz Orchestraがよくリサイタルに使っているボトムラインやジャズインラブリーなど、ジャズスポットには事欠きません。Be Happyまだやってんですかね。本当は京都も捨て がたいのですがページも足りなくなるので大阪へ行きます。
 行きつけの店は、Royal Horse。
 ステージを演出する店の姿勢がいい、昔ながらのジャズライブハウス。出演者もどんなにベテランでもこの店では客一人一人に挨拶して回る礼儀を見せる。こういったのが本当の格式と思う。そうそう、神 戸のSONEもおんなじ雰囲気あるな、関西の遊び。そして値段は安い。ということで、大阪の宿泊は東梅田にするんですが、最近よく泊まるホテルの裏にインタープレイ8があることに気が付いた。山下洋輔の話にも出てくる伝説の店ですが、チャージなし、演奏が気に入ったらレジ横の壺に投げ銭入れてね、の緩い雰囲気もまたいい。
 山陽は倉敷、美観地区にあるアベニューはほぼ毎晩ライブやってます。地元のプロ、アマがたっぷり聞けます。海を渡って高松、元警察官のマスターのきれいなお店スピークロウはちょっと離れた住宅街にありながらライブもあります。
一方雑然とした(ピアノの上にレコードが山積み)UP-TOWNは音にうるさい頑固おやじの、でも選曲が絶妙なお店です。そのすぐ近くのmimosa bird は飲める中古レコード・CDショップです。テーブルのお菓子食べ放題。瀬戸内海を戻って 広島もいいお店がひしめきあってます。
 中国・四国へ行きます。
 広島もいい店があります、老舗Satin Dollは棚のレコードが美しく見えるように背表紙柄で並べてます、それでもマスターはすぐお目当てのレコードを出せるんです。Jazz in Mingas はその名の通りチャールス・ミンガス命のベーシスト井上博義さんのお店で、丸いカウンターで5~6人でいっぱいになるお店ですがそのカウンターの中で若手数人と毎日ライブやってます。目の前でベースがぶんぶん唸る迫力は他では味わえません。シャープス&フラッツのベースだったのですがビッグバンド時代は結構苦労した話も聞いたのが印象的でした。

大阪ロイヤルホース
仙神戸 SONE
広島 Jazz in Mingas

さて、とうとう九州へ行きます小倉のコルトレーンはショットバーです。
 博多はたくさんありますが、中洲のリバーサイドがおすすめ、地元のみならず九州在住のプロ・アマが毎晩集まってます。熊本は私が高校時代まで過ごした地です。
 通ったお店ソワレ、CATなどもうありませんが、上京と同時にできた小倉(おぐら)が老舗です、地元の学生がたむろしライブが頻繁に行われてます。そして最近開店したジャレットは一番のおすすめです。東京にもまだないハイレゾジャ ズスポットです。退職金はたいて装備した音源保存用のNAS(ネットワークアタッチトストレージ)と最高の再生装置を終日プログラム再生します。もちろんリクエストなどにはタブレット操作で割り込み、モニターにジャケット写真が同時に写ります。こんなハイテクジャズスポットほかにない!それに最近はライブも充実していて、最近佐藤允彦氏の伴奏でボーカルの上杉亜希子という豪華なセットもありました。

中州 リバーサイド
熊本 カフェジャレット
沖縄那覇 寓話

そして海を越えて沖縄。
 ここはもう本格的なお店がいっぱいですが私のお気に入りは、「寓話」です。決して広くないスペースに熱気むんむんでライブが繰り広げられます。ほかにもスナックみたいなところで結構うまい歌手が歌っていたり沖縄のジャズはすそ野が広いんです。
 さて、もどってお膝元の首都圏ですが、Blue Note, Cotton Club, など様々な有名店もいいのですがライトハウスを紹介します。客が4人も入るといっぱいの狭い住宅街のアパートの一室で、できるだけ人目に触れないようにおじいさんが一人でやってる店です。パスタの注文を受けてもすぐには茹でず、レコードを変えてからゆで始めます、茹でてる間にレコードを変えることはパスタにも音楽にもよくないようです。一説で国分寺から市ヶ谷に移転したピーターキャットを引き継いで営業し、今この店をやってるとか。そう、ピーターキャットって村上春樹がデビューしたころにやってた店です。私の自宅から歩いて10分のところですが絶対に場所を他人に教えるわけにはいきません。
 というところで時間(いやページ)もなくなりましたのでここらで。最後は今年横濱ジャズプロムナードでの演奏写真を添えましてお別れを。

アズビルブルーノーツ Live In Yokohama
Feat Voice Me Bass T
秘密のお店 ライトハウス

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趣味の社交ダンス

計 装 士 会

横 山 洋 一

ダンスの初心者

 音楽的センスの全くない私がダンスを始めようとしたきっかけは、フィリピンの火力発電所建設へ赴任した時です。
 電力庁の職員と日本のメーカー、技術者のパーティに参加した時、食事も終わり音楽がかかると彼らは陽気にダンスを始め、そのステップはジルバを踊っていたのでした。
 ステップの全く知らない私はただ見ているだけで、ステップが分かれば楽しく踊れるのに帰国したらダンス教室に行こうと思いました。
 1年後帰国してからダンスを始めようと意を決して、ダンススタジオの前まで行くが通行人が多くなかなか入る勇気が出ませんでした。
 たまたま、通勤時の東急田園都市線の中吊り広告に“東急カルチャーB”に社交ダンスがあり、早速初級クラスに入会した。
 先生から手の左右、足は左右交合に出すと説明があり、“何を言っているんだ子供じゃあるまいし”と思ったが、横浜の住人は少し違っていたようです。
 動けばパートナーの足を踏むし、ぶつかる、ステップを考えると左右が分からなくなり同じ足を2度出す等、こんな簡単なことが何故できないのかと情けなくなる。
 1年もやれば簡単なステップの順序は分かってきたが、問題は音楽です。先生からは「動かないといいね」「音楽がないといいな」と言われる始末。「カウントの1が取れればわかるでしょう」と言うが三拍子、四拍子の一小節の中の1がどこなのか音楽を聴いてもわからないのが悲しいかな現実です。
 以降音楽のわからないまま年月が過ぎて行き、CDは何枚か購入していましたがラックにしまったまま自宅で聴いたことがありませんでした。
 努力せずして結果はあり得ないと思い、6~7年前からテープ、MD、デジタルプレイヤーと変わったがCD25枚以上、440~50曲を収録して通勤の往復、昼休み時に毎日聴きカウント、ステップのイメージをして今ではなんとか音が取れるようになり、いくらかはダンスの楽しさが分かったような気がします。

プロの個人レッスンとメダルテスト

サークルのみでは技術的に限界があると思い、先生の渋谷教室に給料が安いにも関わらづ週1回個人レッスンに通うことにしました。
 教室のメンバーの話などを聞くと“メダルテスト”があるとの事。
 これはJBDF(Japan Ballroom Dance Federation)プロダンス連盟が年3回実施するアマチュア部門のテストでした。
 スタンダードとラテン種目があり両種目共に3、2、1、ブロンズ、シルバー、ゴールド、ファイナル、スーパーファイナル級の8階級です。
 自分の実力がどの程度か3級スタンダード種目(ワルツ、タンゴ)を受験し、最終的にスタンダード種目(ワルツ、タンゴ、スローフォックストロット、クイックステップ)でスーパーファイナル級、ラテン種目(ルンバ、チャチャチャ、サンバ、パソドブレ)でブロンズ級を取得できました。
よく踊るブルース、ジルバ、マンボはパーティダンスで競技種目にはありません。
後で分かりましたが、取得の資格証の写しを添付し申請すれば地域指導員5級の資格が得られ、4級には学科のみ受験で(実地免除)資格が得られます。

地元横浜市青葉区のサークル

 メダルテストの資格も得たので地元でのんびり楽しもうと思い、インターネットで調べ青葉区のサークルに入会して4年目、メンバーも気さくな人達でダンスそのものが楽しくなってきました。
 入会3ヶ月後にサークルの先生から青葉区で年1回開催される田園都市杯ダンス競技会に「出場しませんか」と云われサークルのメンバーを紹介されたのが開催1週間前のことでした。
スタンダード、ラテン種目に2人のパートナーを紹介され、どのようなステップでやるか自分で考え、2回各30分づつ練習して新人戦に出場、結果スタンダード準優勝、ラテン3位で賞状とトロフィーを貰い、パートナー2人は入賞したことを喜んでいました。

競技選手登録

2年半前に先生から正式に競技選手登録をして各都県で開催の競技会に出場してはどうかと云われ新人戦に出場したスタンダード種目のパートナーとカップルを組むことにしました。

「スタンダード優勝 左側」

競技会はスタンダード、ラテン共各自の技量に応じて6級~1級、D級~A級があります。(A級選手は全日本、三笠宮杯等出場のレベル)初めて出場したのは5級戦でスタンダード準優勝、ラテンはミスもあり6位。
 選手登録をしてからは川崎市高津区のプロにカップルで週1回個人レッスンを受講。現在まで両種目に優勝、準優勝などで昇級し両種目共にD級となりました。
 競技会に出場しながら、青葉区ダンス連盟の理事、各地区のダンスパーティでデモやアテンダント(女性のみの競技会のリーダー役)横浜市各区対抗団体戦等出場の依頼があり、また他のサークルの応援などでダンス予定日は週5~6日と結構多忙になりました。
 今後も健康維持とボケ防止(本人はまだボケてないと思っているが)のため続けていこうと思います。

「スタンダード タンゴ」
「ラテン優勝 左側」

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コラム

美しい星空を次の世代に残す為に

ジョンソンコントロールズ㈱

オペレーションサポート本部

棚田 英之

光 害

馴染みの無い言葉かと思いますが、光害(こうがい、ひかりがい)とは、過剰な街明かりなどが天体観測や生態系に影響を与える現象のことで、近年ではエネルギー浪費の一部としても問題視されています。大都市での生活には利便性や犯罪抑制の観点からも街灯などはある程度必要ですが、必要以上の無駄な光は『光害』として規制する試みも始まり、天文マニアとしては喜ばしく思います。
 私は長年、計装の仕事に携わり、ビルの自動制御のさまざまな技術進歩を体験してきましたが、アマチュアの天体写真の世界にも近年、大きな技術革新が押し寄せてきています。本稿ではこれらの一端を紹介することで、計装関係諸氏に興味を持っていただき、更なる技術発展や光害抑制にも繋がればという思いもこめて、寄稿させていただきます。

元・天文少年

私は、小学校高学年の頃に小さな天体望遠鏡を買ってもらったことをきっかけに天文に興味を持ち、中学高校時代は天文部に所属して部活動に没頭しました。
 育ったのは地方都市ですが、当時から大気汚染や光害は存在し、学校や自宅から肉眼で天の川が見えることはありませんでした。
 夏休みに郊外の山間地で合宿し、夜空の一部にいつまでも雲が浮かんでいるなどと勘違いしたのが、私が初めて見た天の川でした。
 上京し大学に入ってからは、個人活動が主体となり、時々光害を逃れて信州(乗鞍岳や八ヶ岳周辺)へ遠征しては天体観測を楽しんでいました。当時から天体写真用のカラーポジフィルムは普及していましたが、感度はASA(現在はISO表示)200程度しかなく、星を点像に写すには、赤道儀という架台を使って、ややボカした星像を接眼部の十字線に合わせ、数10分もの間手動でギアを廻し続ける必要がありました。
 撮影には体力と忍耐が要求され、とてもロマンチックとは言えないものでした。

黒い太陽

 社会人になると仕事や他の趣味で忙しく、旅行で地方に出かけた時に夜空を仰ぐくらいの頻度になり、天体観測からは徐々に遠ざかっていきました。
 ハレー彗星やジャコビニ流星群など、ニュースになるイベント時には、仲間達から声が掛かり、仲間たちと遠征などもしましたが、普段は月刊誌でコンテスト写真や高嶺の花の望遠鏡広告を見て細々と気持ちを繋ぐ程度となっていました。
 転機は、会社がリフレッシュ休暇制度を付与してくれたことでした。グッドタイミングで海外への皆既日食ツアーに参加する機会を得たのです。
 日本本土では2035年まで待たないと見ることができない、まさに神秘的な天文現象です。
 ほぼ毎年、地球上のどこかでは皆既日食を見ることはできますが、月の影が投影される直径数百キロメートルの範囲に行かなければ、皆既とはなりません。
 2012年の5月に日本で見えた日食は、地球と月の距離が遠く、月の見かけが小さいのでリング状の太陽が残る金環日食でした。
 一度、皆既日食中の太陽コロナや紅炎を見ると虜になると言われていましたが、私もこのツアーで目にして以来「日食病」にかかり、その後、エジプトと中国に遠征することになりました。

皆既日食
金環日食

天文趣味の本格再開

 直近の2009年の中国遠征は、残念ながら天候に恵まれず、皆既日食は見られませんでしたが、このことがきっかけとなり天体観測を本格的に再開することとなりました。この時の皆既日食は鹿児島県のトカラ列島などでも地理的な条件は合っていましたが、受入体制が整わず、多くの日本の天文ファンが上海周辺へのツアーに参加しました。
 この時3回目の海外日食遠征ということで、初めてデジタル一眼カメラを購入したのですが、帰国後、せっかく買ったカメラを眠らせるのももったいないと、福島県の南会津へ遠征し、何十年か振りに星座写真を撮影してみると、驚くほどきれいに撮影できました。僅か1分の露出で、学生時代だったら、数十分かけても得られないものが簡単に写ったのです。パソコンなどでデジタルの世界には親しんでいたつもりでしたが、映像の世界の技術進歩も侮れません。しかも、まだまだ、性能は日進月歩で向上しつづけています。
 天体写真を再開して間もないうちは、社内の後輩にあれこれ丁寧な指導を受けブランクの穴埋めをしてきました。まだ、本格再開してからは4年目ですが、インターネットで得られる情報も豊富なので、今では完全復活したと自負しています。
 新月前後の晴夜には真冬でも遠征に出かけるほどで、昨年末は房総半島のダム湖畔で除夜の鐘を聞きました。
 沢山の機材を車に運ぶのは一苦労でギックリ腰も経験しましたが、家族の協力もあり、平均月1回くらいは観測に出かけています。現地は街灯のない、暗くて寂しい場所なので、苦手な方も多いと思われますが、夜空を見上げていれば、そんな気持ちもどこかへ忘れさせてくれます。また、現地で出会った同好の方との交流も楽しんでいます。

天体写真の機材

天体写真に使う機材は高価なものという印象がありますが、個人的には目的によってピンキリだと思います。趣味の世界なので、資金に余裕があり、最先端の機材を揃える方ももちろんいますが、私は学生時代に買ったものや、ネットオークションや中古で買ったものを改造して使っています。技術屋の端くれなので、オーバーホールなども楽しんでいます。
 星座写真や星景写真と呼ばれる分野は、一般的なデジタルカメラで十分楽しむことができると思います。三脚やシャッター用レリーズなどのアクセサリーがあれば、すぐにでもきれいな星空を手のひらに収めることができます。
 天の川や星座を点像に収めるには、数十秒以内の短い露出で切り上げる必要があり、もっとクッキリと写すにはモーターを内蔵した追尾装置が必要です。
 近年は専用のポータブル装置が製品化されているので、少しの投資でプロのような写真が撮れます。
 天体のクローズアップ写真を撮ろうとすると、本格的な望遠鏡や架台(赤道儀)が必要となりますが、過酷な使用環境(温度、湿度、夜露)なので、新品にこだわる必要はないと思います。ネットオークションなどでも盛んに取引きされており、手放す際も値下がりはほとんどありません。
 拡大領域の撮影には、追尾用カメラやパソコンも必要となってきますが、WEBカメラやWindows PCなどは中古品を廉価で入手することができます。

撮影機材
月面クレーター

天体写真のソフトウェア

天体写真加工のソフトウェアの進歩も目覚しく、少しコツは必要ですが、微かに写った淡い天体を画像処理で強調すると、子供の頃、天文台が撮影して出版していたような写真をアマチュアレベルでも容易に作ることができます。
海外版のフリーソフトも多いので選択に迷うほどです。

オリオン大星雲
アンドロメダ星雲

計装技術との関連

 一般的な天体写真の作り方は、同じ被写体を複数枚、同一条件で撮影し、パソコンのソフトで合成することでノイズを軽減し、解像度を増すというものです。
 ここで一番苦労するのは、10分程度の露光中、正確に星を追尾することです。天体写真に写る星像は完全な点なので、許容誤差はごく僅かです。架台の機械的な精度や地球自転軸との平行据付精度だけでなく、風や上空の気流の影響、大気の屈折、北極星との離角など、多くの不確定要素があり、自動制御のパラメータが最重要となります。
 空調の世界でも、暖房、中間期、冷房、朝、昼、夜と極端に変化する負荷を全て賄えるパラメータは存在しないので、DDCコントローラにはオートチューニング機能が用意されていますが、チューニング開始のタイミングが難しく、利用範囲は限定的で、ある程度の妥協を余儀なくされています。
 追尾用のソフトウェアはフリーソフトが広く普及しており、同様のチューニング機能を持っています。
 対象を撮影する都度チューニングするのは不便なので、手動のパラメータがいくつか用意されており、パソコンと格闘する時もあります。
 読者諸氏に専門家がいれば、是非とも関与して改良をお願いしたいところです。

今後の展望

チューニングがうまくいけば、追尾やシャッターはパソコン任せなので、夜空を見上げる時間もたっぷりとあります。流れ星に願掛けはしませんが、出会うと嬉しくなります。技術の進歩により、学生時代の努力や忍耐と比べると隔世の感があります。
 ハッブル宇宙望遠鏡やハワイのすばる望遠鏡など、世界最先端の大型望遠鏡で撮影する天体写真と競争しても無意味ですが、広域の対象を選べば、遜色のない写真を撮ることができます。アマチュアの趣味の世界は自己満足が最大の目的なので、学術性は気にせず、今後も自分の感性に合ったものを目指したいと思っています。
 加齢と共に体力が落ち、あと何年遠征して徹夜ができるのか気になりますが、チャレンジ精神を忘れず、2016年のインドネシア日食や2017年のアメリカ日食への遠征も密かに狙っています。また、マイ天文台を持つ夢も持ち続けています。
 健康に気を配りながら、生涯の趣味とする所存です。
 読者諸氏が夜空を見上げ、美しい星の輝きを後世にも残すべく、より一層のエネルギーの効率化、ひいては光害の削減にも関心を持っていただければ幸いに思います。

(文中写真はすべて執筆者による撮影)

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コラム

地震について

東光電気工事株式会社
東京支社リニューアル部
吉野賢治

 3.11東日本大震災から1年が経ち、震災にあわれた方にとっては、忘れられない 事だと思います。
心より御冥福をお祈りいたします。
 多少の知識はありますが、私が関心を持ったので調べた事を書いてみました。

1. 地震とは

 地震は、地下の岩盤のずれ、破壊によって起こる。
 岩盤は、非常に硬くある一定の圧力により、破壊が起きる。
 圧力が耐えられなくなり限界を超えると破壊し、エネルギーが一気に放出する状態。
 日本全国には、陸域で約2000の活断層があるそうです。

2. 地震波について

 地震波は、速度が速いP波(縦波)、速度が遅いS波(横波)に分けられる。
 はじめに感じられる細かい震動(初期微動)がP波、激しい震動が、S波となり、通常たてゆれを感じるのが、P波となり、その後、激しい横ゆれが起きるのが、S波となる。

3. マグニチュードと震度

 『マグニチュード』は、そのものの大きさを表す。
 『震度』は、ゆれのつよさを表す。
 マグニチュードは、エネルギー量を表す指数で、地震計の最大振幅等を用いて計算する。
 専門的な計算式なので、省略する。
 日本の表記は、気象庁マグニチュードを採用しており、世界では、異なるとされている。
 マグニチュードの大きさは、1増えると約32倍、2増えると約1000倍になる。
 ちなみに、関東大震災は、M7.9、阪神淡路大震災は、M7.3、東日本大震災は、M9.0であった。
 従って、東日本大震災は、阪神・淡路大震災の約1000倍のエネルギーの地震であった。 震度は、気象庁が定めている震度階級がある。
 震度0~7(0、1、2、3、4、5弱、5強、6弱、6強、7)の10段階でわかれている。
 昔は、体感や被害状況により判断していたが、今は、地震計を用いて判断している。
 震度は、各地にある震度計による物で、設置してある地盤等の条件により、異なる。
 又、気象庁の観測点は、全国で約4,200地点ある。(各自治体等分含む)
 マグニチュードは、地震そのものの大きさ、震度は、各地の規模の大きさの目安とさ れる。

4. 緊急地震速報について

 日本の気象庁が提供している地震警報システムの一つである。
 主要動の到達前に速報を行うシステムとしては、世界初であるとされている。
 震源に近い観測点の地震計で捉えた地震波のデータ解析し、震源位置、規模を即座に推定し、各地での到達時間、震度を推定して可能な限り素早く知らせるもの。
 テレビ等の一般向けが拡大していき、携帯電話にも広く導入されている。その他、高度利用者向けを提供する端末や、ソフトウェアが多様な方式の事業者によって提供されて いる。
仕組みとしては、初期微動のP波と、S波の伝播速度の差を利用して予測する。
 (P波は、毎秒約7km、S波は、毎秒約4km)
 ある資料によると、対応時間が5秒(5秒前に地震速報を知る)あれば、死傷軽減率が約80%軽減できるとされている。
 現在は、携帯電話、スマートフォンアプリにて速報を利用する人がいるが、その情報としては、気象庁の速報にて情報を得ている。
 東日本大震災から注目されるようになった。一般向けから、企業向けまで様々な機器があり、使用目的により選ぶことができる。
 3.11東日本大震災から1年が経過し、日本国民が地震の恐ろしさを痛感したと思う。
 各メディアで、地震に関する報道をされているが、各自住んでいる地域他、日ごろ生活している場所の特長を把握し、防衛することが大事だと思う。

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コラム

「オモパラクッカー」

カシオ計算機㈱ 現在フリー

地域少年のボランティア 山下 優

ヒント

所在なく、ごろ寝テレビのナガラ視でチャンネルを適当に切り替えていたらタイ国の街道風景をバラエティ風にレポーターが取材している映像が飛び込んできた。
 カンカン照りの中、穴のあいたデコボコの舗装道路を大勢の人々がゆったりと行き交わっている。
 カメラがぐるっと回って痩せぎすの目付きの鋭い一人の男性を映し出した。ニコリともせず何か品物を真剣に売っている。二言三言、言葉があって男の手元がクローズアップされた。そこには数本の串刺しの焼き鳥が並べられていた。彼は露天の焼き鳥屋だった。
 再びカメラが回った。今度は何やら異形の構造物を映し出した。それは屏風のような枠組みをしていて結構大きい。その枠組みには手の平より多少大きめのきらきらと光る小さな部品がきちんと並べて取り付けられている。その部品をカメラはまたクローズアップした。手鏡だ。
相当な数の手鏡を枠にぶら下げたその構造物は太陽を真正面にしてそそり立っていた。この屏風ごとき代物の中心にこの男の商売品、竹串に刺された鶏肉が何本か並べられていた。
判った!、これ、手鏡利用太陽熱集熱器、パラボラクッカーだ!このところエコの話題がマスコミでもとりあげられるようになってきた。原理そのもののこの装置はシンプルで わかりやすい。俄然興味が湧いてきた。これ、いいんじゃないか!

地域の子供体験教室

おもろば大南という地域の小・中学生を集めて体験遊びさせる活動に参加している。
 「大南子供おもしろ広場体験教室」がフルネームで「子供も大人も一緒に体験遊びを楽しもう」という目的で有志の人々で8年前に立ちあげられ現在に至っている。
 参加する子供たちは地域の小学生、中学生で登録制になっている。
 昔遊び、化石採集~標本つくり、縄文調理遊び、農作業~収穫祭、理科実験パズル、科学工作などなどがあり、 年行事としては地域のお祭りに参加、ここでキッザニヤ風テントを張って「おもろばグッズ」の販売体験をする。
 「おもしろ科学工作」これが私の担当で、理科・算数の原理を身近にある材料を使って工作遊びで楽しみながら 知ってもらおうとしている。
 パラボラクッカーに興味をひかれたのはこの背景があったからで、作ってみようかなという思いが閃いたのは このテーマ担当としての成り行きだったわけです。

企 画

「パラボラで太陽熱を集めて調理体験をしてみよう」、思いつきを早速スタッフに持ち込んだ。了解は即決、企画案の作成に取り掛かった。
 ネットで検索すれば設計情報は簡単に手に入ると思っていたのだがこれが甘かった。検索ではクッカーの商品カタログばかりがあふれていてどうもおもしろくない。結局、自前で考えることにした。初歩の問題がある。焼き鳥をつくるのにはど
れくらいの大きさのパラボラが必要なのか? ネット情報のあてが外れたわけで、出だしからつまずいている。何とかしなくてはならない。やむなく近場の図書館を訪ねた。本棚の前をうろついてみたけれどこれという書籍は見当たらない。
所詮、パラボラ設計の手引きなんて都合のよい本があることを期待すること自体が甘いのだ。ふと思いついた。理科年表、そう、あれに太陽関連のデータがあるのではないか。再び本棚の前、しかしこの年表が見当たらない。やむなく司書の方に所在を訪ねてみる。うーんと言って考えている。あのような本は見る人もまずいないのだろう。ちょっと間があって「こちらです」。図書室の片隅のなんという分類に入っていたのかは忘れたけれど、とにかくとてもわかりにくいところに目的の理科年表は置いてあった。
 久しぶりにこの小型の分厚い書籍を手にした。版は4年前のものだけどそんなこと構わない。パラパラっと見る、スッとページがすぎて何もヒントになるものが引っかかってこない。ジワリとあせりが生まれてきた。スタッフにはすぐできるような言い回しでかっこよく話をしてしまっている。困った。軽率は癖だから仕方ない。ちょっと弱気になりながら慎重に索引を見る。太陽・太陽・太陽・・・。
にらめっこすることしばらく、「正午直達日射量瞬間値の月平均」という項目が目に飛び込んできた。ん! これ使えそう。 ページを開く、単位面積当りに降り注ぐ太陽熱を実測した月平均の瞬間値が記載してある。 よかった!これ使える!後は計算だけだ。やれやれである。肩から力がすっと抜けた。
でも、ほっとしたのはつかの間で、また難問が湧きあがってきた。焼き鳥を焼くってどれくらいの熱量がいるのだろうか? この問題については流石に参考文献なんてものは期待できない。深く考えもしないでしゃべってしまった話は後が怖い。 焼き鳥はずいぶんと食べたけど、焼きあがる火力なんて気にしたことはない。
結局、エイヤで決めた。20℃の水1リットルを15分で100℃にするとした。根拠はあいまいで模糊。何しろ焼き鳥と水の相関関係なんてことも飛躍があり過ぎて知る由もない、根拠はと言えば自宅のガスコンロをガチャガチャと捻ってお湯を沸かして「こんなものかなあ」と個人的に感じただけで、この判断は恥ずかしくてあまり人には言えない。

設計・パーツ製作

パラボラの焦点位置は外周の高さとした。
パラボラの外に焦点を置くと周辺の「もの」を燃やしてしまう危険がある。火事になる、実際に事件は有ったらしい。危険は避けなければならない、やはり焦点の位置は面の高さが限度だ。構造要求のこの1件はこれで良い。後は計算だけ。太陽熱を受けるパラボラの必要表面積を計算、続いてパラボラの直径を割り出した。1.8mと出た。スタッフと2回目の話し合い。クレームがついた。「だめだよそんなに大きいのは、子供の手が届かない」ごもっとも。子供仕様でどのくらいの大きさががいいのか。結局、直径1.5mと結論づけた。
 この寸法で熱量が足りるのかどうかは判らない。まずは試作機という名称で性能確認をすることにした。
 パラボラを設計、構造は木製でねじ止め組み立て式、子供たちが組み立てられる仕様だ。続いてパーツを設計、仕様に合う材料を指定、部品表ができた。この部品表を手に材料の仕入れに走る。行先は100均ショップ。このお店、なんでも売ってる。驚きを感じる。たかが100円なんて言っては失礼という気持ちになる。
仕入れした材料を目の前に山積みにした。結構な量だ。そのボリュームにたじろぐ。中学校の工作室の設備を使わしてもらえないか交渉、了解を得た。よかった。
幸いなことに必要な工作機器はここにすべてそろっていた。スタッフとお父さん方の協力で朝から作業に入る。即席の作業チームとは思えない。順調に作業を終了、
試運転の日にちを決めて本日は御苦労さん。

組立・試運転&性能確認

  反射板となるプラスチックの板を計算の寸法で切り出し、反射フイルムを張り付ける。これですべてのパーツが揃った。 組立てが始まる。部品の加工寸法は思いのほか精度良好。1.5mのクッカーの姿が徐々に見えてきた結構でかい。 組上がったパラボラクッカーを晴天の公園中央に引っ張り出してセット。天気は良い。太陽の光を受けて焦点部分が白っぽく 輝やいた。
  この装置、遠めに見ても結構派手だ。周囲の人たちが興味深げに集まってきた。装置を太陽に正確に正対させる。最初は「燃焼テスト」だ。新聞紙を筒状に丸めてパラボラの焦点に近づけた。 1秒、2秒、紙が焦げる匂いがして煙が出てきた。3秒ほどで炎が出た。結構凄い。

目玉焼き

 フライパンにサラダ油を少し入れて生卵を落としてみた。 一瞬静止した状態があって、すぐに卵白が白色に変わる。 黄身は7分くらい。これで目玉焼きができあがった。焼けていく状態が目で見ていてわかる。待ち時間はそう気にしなくてよさそうだ。おもしろい。食べてみた。ガスコンロで焼いた目玉焼きよりも滑らかで、軟らかくて、しっかりしていて口当たりがよい。おいしいという
評価がでた。成功である。

焼き餅

 お餅をあみの上に乗せて焦点部分にセットしてみた。煙が出ない。シーンとした感じで極めて静的である、???。
しばらくそのままにして置いたら、急に乗せていた1個のお餅の横っぱらが膨らんだ。焦げ目はない。 赤外線だ!低温やけどのように中から加熱されている。これはおいしそうではない。お餅の焼き方は考え なくてはならない。

ウインナー

 目玉焼きと同じ。フライパンに少量のサラダ油を入れて炒める感じで焼いた。 しばらくするとフライパンの温度が上がりピチパチという音がして脂がはじけ飛んだ。ウインナーの表面も焦げ茶色に変わってきた。
妙な音がしてウインナーの横腹が裂け、大きな油玉が飛んだ。
大成功、一回で数個のウインナーが焼ける。
量産向きでこれは良い。 ただし、ウインナーには切れ目をつけておいた方がやけどをしなくて済みそうだ。

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焼き鳥

本命の登場だ。
鶏肉を串にさし塩を振る。パラボラの焦点に金網を取りるけその上に鳥クシを並べた。3分時間が経過した。鶏肉が白っぽく変色してきたけれど大きな変化は現れない。 5分、鶏肉に付いていた皮の部分から脂が滴り落ちてきた。
煙は出ない。 焼き餅と同じだ。赤外線が肉の内部に浸透して表面は焼けずに、内側からローストされてきている。 にらめっこ数分、取り出して肉片を切ってみるとすでに全体にきれいに火が通っていた。
  試食、これは結構おいしい。歯あたりも軟らかくて仕上がり上々だ。

ただし、子供向けということについてこのレシピは若干の抵抗感が芽生えていた。
 1.5mパラボラは、調理器としての性能はこのサイズでも十分に備えていいることが分かった。
試作器は1号機と名称が変わった。
  実際に運転してみて熱源が炭火などとは性質が全く異なっていることを知らされた。 赤外線は浸透して物の内部の温度を上昇させる、これが性質だ、直火表面焼きとは全く異なる。
焦げ目をつけたい調理品はフライパンなどの容器を高温にしておいて、その高温度を利用して食材を加熱すればよいということが判った。

ネーミング

 これはスタッフと手伝ってくれたお父さんたちに提案を募った。結局、おもしろ広場から「おも」、パラボラの「パラ」そして機能としての「クッカー」を組み合わせ、名称を 「オモパラクッカー」と決めた。まあ、語呂も悪くはない、覚えやすい、いいんじゃないか。

教室開催

当日、子供たちが集まってきた。お父さん、お母さんと一緒の 子もいる。
おはようございます。まずは太陽熱の蘊蓄とパラボラ調理器の話を全員にする。
子供たちへの質問もする。物知りの子は自分の知っていることを大きな声で話す。 「ぼくつくったよ、ビニ傘にね、アルミホイル張って、お茶の筒に 水を入れておくとゆで卵ができるんだ!」
しばらく子供たちの自由な声が飛び交った後、いよいよ オモパラクッカーの組み立てになる。
まずは骨組み、部品を ネジで止めていく。真剣だ。子供同士が上下で協力して組み 立てていく、そして反射板を取り付ける。

 クッカーの姿が子供たちの前に顕わになった。「すげー、でっかい、俺ウインナー持ってきた!」 最後に台車に乗せて運びだし、隣接している公園の中央にクッカーを備え付ける。
天気は良い。クッカーはまぶしく太陽の光を集め始める、焦点の位置にフライパンをセットした。
参加した子供たちは濃いめのサングラスを全員着用する。目を 太陽光の反射から保護するためだ。 サングラスをかけた子供がクッカーの回りを走り回る。大勢のちびギャングが出現した。 その姿が結構様になっていてかわいらしい。
こどもの一人がクッカーの焦点近くに手を入れた。 「アチィー!◎?X△☆□ムニャムニャ」、自然は凄い! 肌で実感、目で確かめる。理論は後、現象を知る、このことが 重要だ。

「君もやってみな」、怖気づいた子供は逃げていく。
フライパンにサラダオイルを少し注ぎ込む、お餅を数個放り込む、 油がすぐに跳ね始める、餅の表面が茶色になった。プッと 膨らんだところで取り出し、ちょっとさまして食べる。おいしい。 目玉焼き、焼きウインナーも調理。
目玉焼きは自分で卵を割って自分でフライパンに入れる。 焼きあがってくる食材の変化を興味深げに見ている。 「いいか?」「まだ半熟」「もう少し!」。
サングラスをかけた男の子が神妙な顔をして公園の片隅で 目玉焼きを食べている。
「おいしいか?」「 うん、今まで食べた目玉焼きの中で一番 うまい!」、神妙な顔付きがなかなかよい。
焦げ目のついた焼き餅も、しっかり熱の通ったウインナーも好評だ。あっという間に売り切れた。
子供たちの感想、「今日は楽しかったですか?」に、全員が 「おいしかった!」。
太陽熱はおいしいものだ、こんな発想が彼らの気持ちに残ってくれれば、これはこれで大成功なのだ。

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体験教室雑感

 工作をしている時の子供たちの目はいつもきれいだと感じる。言葉では言いあらわせない。
工作が完成して「ヤッタ!」と叫んだときの子供たちの表情は輝いていてさらに生き生きとしている。
リニヤモーターカーの御先祖;永久磁石で車体もどきを浮きあがらせてスライドさせる。

光を食べるパンダ;光電素子を使って懐中電灯を向けるとモーターが回って後をついてくる。
 電気パン焼き器;電極の間にホットケーキミックスの粉を溶いて入れて100ボルトを懸ける。 ふかふかとした蒸しパンのような代物が10分ほどで出来上がる、結構おいしい。
 ダイオードラジオ;鉱石ラジオの代替え、バリコン・コイルは手作り、放送を捉えた時、感動がある。
 わたあめ機;複雑でちょっと難しい。砂糖はアルミ缶の底を加工したドラムで溶かす。熱源はニクロム線、回転は直流モータ。穴をあけたドラムに砂糖を入れる。溶け始めたら回転、直径10センチメートル位のわたあめが自分で作れる。とても評判がよい。
 などなど、子供たちは動きのある機能工作が大好きだ。狙いの機能が実現したその瞬間、彼らの感動が直に伝わってくる、理科・算数が苦手という子供が多い。
 残念なことだとつねづね思っている。この教科は本当は日常の生活の中にある事象そのものの確認で、もっとも身近にあることの「ナゼ」の勉強だと思っている。難しく考えることはないのだけれど実際は苦手とする子が多い。
 理科・算数を体験しよう、そう、体で皮膚で実感できればよい。理論は実感の上に乗ってくればよい。
 やじろべえをつくる。重力・重心なんてことは言わない。ひねくりまわした結果で重力・重心のあることを実感する。重りに換えて磁石を両端に取り付けてみる。南北にみんなのやじろべえが向きをそろえる。地球が磁石になっていることを知る。
 自分の手で工作したものが、機能を発揮して動作を開始する。ハッとした喜びがあって表情が輝く。以前はお爺いちゃん、お父さんが子供にこうした感動を伝えていたように記憶している。今は望めない。
手間はかかるけど実感と言う蓄積があれば理論や法則と言う「こむずしい」代物の理解はしやすくなるだろう。
 科学技術は実生活から離れてきてとっつきにくい分野になってきたのだろうか、そうは思いたくない、とっつけるトリガーがかかりにくい世相に今はなっているだけだと思う。
 人には、本来軽いノリを実現する能力がそなわっている。大げさにいうとこれは人の人たる遺伝子で、太古からの生存競争を生き延びてきた人類の財産といってもよいのではないかと考える。
 この思ったことを実現できる楽しさを子供たちに多少なりとも伝えられればといつも願っている。

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コラム

生活の中のPID制御動作

計装技術職業能力開発センター

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