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コラム

レコードと昭和の原風景

太平電業株式会社

松本 浩

レコードの話です。

昭和38年(1963年)、テレビアニメの鉄腕アトムに未来の夢を馳せ、銀幕ではアラビアのローレンスでピーターオトゥールとアラブの文化に魅了され、初の衛星中継でケネディ大統領の暗殺が報道された年、私は福島県双葉郡楢葉町に生まれました。

駅裏の8畳3部屋の家で、祖父母と両親、父方の叔父叔母が3人、私と弟の9人での暮らしです。

お風呂、トイレ、釜屋(台所)は外にあり、雨の日は釜屋で料理した食事を、濡れないよう小走りで母屋の食卓に運びます。

その母屋は屋根からの雨漏りで、賑やかな洗面器の雨音演奏を奏でていました。

親戚が多く、毎年お盆に叔父叔母が家族を伴って里帰りすると、総勢20人ぐらいが狭い家に泊まります。

毎回、叔父叔母の子供のころの泣き笑いの四方山話で宴は大いに盛り上がり、私といとこ達はそれを楽しく聞いているのが好きでした。

そんな我が家でも、高度成長の時流に乗って、家の様子が少しずつ変わってきました。

まず裸電球が蛍光灯になり、四本足の白黒テレビが茶の間に陣取り、台所には冷蔵庫とガス炊飯器、お風呂場には絞り付き機能の洗濯機、続いて電子レンジ、カラーテレビが家に入ってきて、みるみる生活が便利になり、豊かさを実感できるようになりました。

父は、音楽とオーディオが趣味で、自分でべニア板と綿でスピーカーを作ったり、アルミの板の上にトランジスタやコンデンサを組み込んでラジオやアンプを作ったりして、好きな音楽を聴いていました。

1985年、営林署に勤めていた父が、木材を安く手に入れることが出来て家を新築しました。

時が経ち、2011年の震災で我が家は避難を余儀なくされ、私の家族は成田に住み家を移し、両親は2015年に実家に戻り現在に至っています。

少し痴呆になり、孫に何回もお小遣いをあげようとする両親ですが、たまに実家に帰り昔話をすると、戦争と高度成長の昭和を真面目に、強く、逞しく、イキイキと生きて来た人達の話は、私に勇気と元気を与え、あの人たちのように希望をもって生きていきたいと思わせてくれます。

今年の初めに父から連絡がありました。

断捨離を始め、買い取り業者を家に呼び、古いオーディオの山と相当の数のレコードを処分したそうです。

その時の買取価格が全部で3,000円。

父は売っては見たものの、その晩あまりに安い価格に腹を立て、翌日わざわざ一山越えて買い取り業者から買い戻して来たそうです。

私が帰省した時に、まだそのレコードがあったので見てみると・・・

出てきました懐かしのヒット曲!!

父の趣味からは、伊藤ゆかり、黛ジュン、リリイ、北島三郎、山本譲二、さくらと一郎、寺内タケシとブルージーンズ、風・・・

私のコレクションからは、当時大ファンだったアイドル桜田淳子、松田聖子、クイーン、ドナサマー、スージークワトロ、チューリップ、寺尾聡、アリス、サントラ盤・・・

今、巷はアナログのレコードブーム。

2020年上期に、アメリカでは1980年代からの30~40年間で、初めてレコードがCDの売り上げを上回ったそうです。金額にしてCDの売り上げが約138億円、レコードが246億円です。(アメリカレコード協会)

私は、家にあったEP盤だけを、レコードショップで処分しようと、東京に持ち帰りましたが、処分する気持ちになれずに、未だに部屋の棚の上に置いてあります。

このままもしかすると、再びアナログの温かみに触れたくなってプレーヤーを購入し、針を落して、懐かしいあの頃の音楽に包まれ、駅裏の我が家での生活を思い出してノスタルジーに浸りたくなってしまうかもしれません。

ちなみに、父は踏ん切りがついたらしく、買い戻したオーディオと残りのレコードを、別の買い取り業者に引き取ってもらったそうです。

松本 浩(まつもと ひろし)

太平電業株式会社

東京支店 執行役員 支店長

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