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フライフィッシング

高砂熱学工業株式会社 吉川 弘信

1.はじめに

 私の趣味で、現在まで続いている1つにフライフィッシング  があります。30代前半から始め、もう20年以上経ちます。 フライフィッシング暦の一部をご紹介させていただきます。

 はじめるきっかけはテレビで見たフライフィッシングでした。渓流の綺麗な水で釣りをする。川の中に立ちこんで釣りをするのが気持ちよさそうで、いつかやってみたいという思いがありました。

 釣りそのものは小学生の頃から親しんでいました。生まれが埼玉県蓮田市というところで、元荒川、綾瀬川という2つの川流れており中流域であったため、コイ、フナなどを釣りしていた時期がありました。ミミズや練り餌などのエサで釣っていたのを覚えています。

2.フライフィッシング

 社会人になり、仕事の同僚でフライフィッシングをやっているN氏に頼み込んでフライフィッシングの手ほどきを受けました。フライ(毛ばり)は非常に軽いため、釣り糸(ライン)自体の重さと竿のしなりでポイントに運ぶ。そのためキャスティングを習得する事からはじまります。

 ラインを前後に振り、勢いと方向性を付け投げる「オーバーヘッドキャスト」、頭上後方までゆっくりロッドを立てた後前に振り、水面をラインが転がるようにして投げる「ロールキャスト」を習得しやっと渓流釣りデビューの準備が整いました。釣り道具はN氏から借用しました。N氏からいつまで続くか分からないから急いで購入する必要はないという配慮でした。

 N氏が最初に連れていってくれた場所は、東京都あきるの市トーマス・ブレークモア記念社団養沢毛鉤専用釣り場でした。

 管理釣り場というところで、自然渓流にイワナ、ヤマメ、ニジマスを放流しており、1日券を購入し釣りをする場所です。管理釣り場にもいろいろなスタイルがあり、自然渓流を岩で区切り魚を放流しているところや、池に魚を放流しているところもあります。養沢毛鉤専用釣り場は自然渓流を利用しているため清涼感、解放感に満ちており、自身が要望していた釣り場でした。ここでいっぱい釣れた事が20年以上続くきっかけとなりました。

※この後、フライフィッシングの道具を1式購入しました。

写真1 養沢毛鉤専用釣り場管理事務所
写真-2 入渓して釣りをする著者 2024/7月

3.フライタイイング

 フライフィッシングの楽しみは投げる、釣る以外に、フライを作る(タイイング)醍醐味があります。自分で作ったフライを魚がエサだと思って食らいつく。これがたまらなく面白いのです。

 材料は針と糸、いろいろな鳥の羽や、鹿の毛などです。バイスとよばれる器具で針を固定し、針に毛を巻き付けていきます。

 フライは模す虫により材料を変えます。皆さんがフライでイメージするのは羽虫で水面に浮かぶものだと思います。

 実はフライは水上を飛ぶ羽虫だけでなく、水生昆虫であったり小魚なども模して作ります。釣り方もフライを水面に落とす、水中を流す、魚や水生昆虫が泳いでいる様に水中を引っ張るなど多様な釣り方があります。

写真-3 フライ
写真-4 タイイング中
写真-5 タイイングの材料と道具

4.ロッドビルディング

 凝り性なので、フライロッドも自分の好みに合わせ作った事があります。作るといっても、パーツを購入して組み立てるイメージです。渓流釣りから湖の釣りまでカバーしようとすると1本のフライロッドでは足りなくなってきます。長さや固さを釣り場に合わせ用意する事になりますが、完成品を購入すると高額のため自分で作ってしまえば安価になるという思いからです。

  パーツ

  ・ブランク(竿の棒の部分、2本継ぎ~4本継ぎが多い)

   素材:カーボン、グラスファイバー、竹

  ・ガイド(フライラインが通過する金属のコイル)

  ・コルクグリップ(持つところ)

  ・リールシート(リールを竿に固定する部分)

  道 具

  ・ロッドモータ

  ガイドをブランクに糸で巻き止めた後、ウレタンでコーティングし乾燥させる際に使用します。

  ・スレッド(糸)

   好みの色を使います。

写真-6 ロッドビルディングのパーツと道具

6.最後に

 渓流釣りの爽快感を求めた事からフライフィッシングを始め ましたが、フライフィッシングでもの作りする奥深さも知る事もできました。

 最近は老眼のため、毛ばりの穴に糸を通すのが困難になってきていますが、できる限り続けていきたいと思っています。皆さんも日頃のストレス発散につながる趣味を持たれる事をお勧めします。

【執筆者紹介】

吉川 弘信(よしかわ ひろのぶ)

高砂熱学工業(株)東京本店

電気計装部 計装技術課 担当課長

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ハンドボール

旭国際テクネイオン株式会社

池田 拓人

ご安全に!!

 私は、2020年のコロナウイルス全盛期に社会人となりました。よく見た目から30代後半や10年選手と皆様から言われますが、入社4年目の26歳です。

今回の会報第54号コラムにて、私の趣味である「ハンドボール」についてお話したいと思います。

はじめに

 私とハンドボールの出会いは中学1年生時に3つ上の姉(卒業済み)がハンドボール部に所属していた為、当時の顧問がどこかから弟である私が入学した事を聞きつけ入部届を教室まで持ってきた事がきっかけとなりました。入学したての私からしたらいきなり体育教師が入部届を持参し現れたので「YES」か「はい」の選択肢しか頭に浮かんでこず、恐怖心から入部届に冷や汗をかきながら名前を書いた事を今でも鮮明に覚えております。今となってはある意味姉のおかげでハンドボールに出会う事ができ、中学~大学まで続けることができたので感謝?しています。

ハンドボールの基本的なルール

・ボールを持つ選手は3歩までかつ3秒以上ボールを保持してはいけない。

*空中でキャッチした場合、着地の足は0歩として換算

・選手の交代は自由(回数制限なし)                          

・1チーム7名(コートプレーヤー6名、ゴールキーパー1名)

 ※ユニフォームの色は対照的な異なる色を使う事

・試合時間:前半30分後半30分 ハーフタイム15分

 ※延長戦あり。

・1ゴール1得点

・縦20m横40mのコート

ハンドボールの歴史

  ハンドボールの発祥は19世紀終わりごろにデンマークのホルガ―・ニールセンが考案した7人制と1910年代にドイツでコンラッド・コッホが考案した11人制が発祥といわれております。

 当初はベルリンを中心に11人制が主流となっておりましたが、徐々に7人制に移行していったといわれております。日本で初めてハンドボールが紹介されたのは1922年(大正11年)7月に行われた、大谷武一氏による日本体育学会夏期講習の事でした。

 一時期、第二次世界大戦の影響により終戦後の「ハンドボール」と呼称が復活するまで「送球」と名前を変えた時代もあったそうです。

 又、2008年の北京オリンピックアジア予選にて、「中東の笛」という言葉が日本に広く知られた競技でもあります。

※「中東の笛」とは・・・

 主に国際規模のスポーツイベントにおいて試合日程、判定等がアラブ諸国に有利になる事象である。

最後に

 日本でハンドボールはまだまだマイナー競技ですが、試合展開が早く、空中の格闘技と言われる程接触の激しい競技です。見る方としては、迫力がありとても楽しめる競技となっております。又、日本としてはおよそ36年ぶりとなるオリンピック出場権を自力獲得致しました!この機会に是非、皆様もご覧になられてはいかがでしょうか?

 私はもちろん配信での観戦予定です。(本当は現地に行きたいですが、、、)

 私はハンドボールに携わってきた者として、これからも応援していきたいと思います。又、ハンドボールを知らない方へも知ってほしいと思い、今回この場をお借りして紹介させて頂きました。

 パリでハンドボール日本代表が活躍する姿を楽しみに日々過ごしていきます。

頑張れ!!日本代表!!

【執筆者紹介】

池田 拓人

旭国際テクノイオン(株)

開発事業本部

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Enclosure

ジョンソンコントロールズ株式会社

営業推進統括本部 設計統括部

井村 雅英

1.はじめに
 読者の皆さん、「エンクロージャ(Enclosure)」と聞いて何を思い浮かべるでしょうか。ある自己紹介の時に、「私の趣味は、エンクロージャを自作することです。」と言っても、ほとんどの方が首をかしげたことを思い出します。
 これからご紹介する「エンクロージャ」とは、スピーカユニットを収納し、ユニット本来の性能を発揮させるための箱のこと言います。

2.エンクロージャの役割
 ほとんどの方は「スピーカ」というと、四角い形をした音の出る箱というイメージがあるのではないでしょうか。
 もし、スピーカユニットをこの箱に装着せずに単独で音に変換しようとすると、振動板の前面から出る音と後面から出る音が干渉し、思ったより小さなしかも低音が含まれない音となってしまい、いわゆる良い音を再生することができません。
 そこで、後ろから出る音を箱の中に閉じ込めることで、前から出る音だけが視聴者の耳に届くようにするわけです。

3.エンクロージャの種類
 では、どんな箱でもよいのかといいますとそうではありません。実は期待するスピーカユニットの性能を十分に発揮できるように綿密な設計が必要となります。今回は設計方法などの詳細は割愛させていただきたいと思いますが、エンクロージャの主な種類と特徴をいくつか紹介させていただきます。

・ 密閉型
 図 -1のようにスピーカユニットの後側から出る音を箱で完全に封じ込めるタイプのエンクロージャです。単純な構造で大きな容積になるほどスピーカユニットの本来の音質を再現できるといわれています。

・バスレフ型
 図 -2のように密閉型の箱の前面に計算されたサイズのダクトを取り付けたエンクロージャです。これは、エンクロージャ内部の容積とダクトの空気抵抗によって、特定範囲の低音がダクトを通して前面に放出されるようになりますので、効果的に低音部分が増強される効果があります。小口径のスピーカユニットの低音を再生しにくい欠点を補う場合に採用されます。

図-1 密閉型
図-2 バスレフ型

・バックロードホーン型
 図 –3のようにスピーカ背面の音を徐々に断面積が広がる音道を通って前面に放出させる構造で、効率よく低音を増強するエンクロージャです。音道がラッパ(ホーン)の形状であるために、特徴的な音質となります。

図-3 バックロードホーン型

4.オーディオネットワーク
 次にスピーカの構成についてご紹介します。
 スピーカユニットの種類には、低音から高音までを一つのユニットで再生するタイプの「フルレンジ方式」とそれぞれの音域に特化したユニットを複数組み合わせた「マルチスピーカ方式」があります。聞いたことがあるとは思いますが、低音域用を「ウーハー」、中音域用を「スコーカ」、高音域用を「ツィッター」と呼んでいます。
 このマルチスピーカ方式では、それぞれのスピーカユニットに特定の周波数に限って信号を分配するための電気回路が必要となり、エンクロージャ内部にコンデンサやコイルを組み合わせたフィルタ回路を組み込む必要があります。

5.趣味としてのエンクロージャ作り
 10年ほど前に少々時間や金銭的に余裕ができたせいかエンクロージャ作りを再開することができました。
実際のエンクロージャ作りは、設計、材料の調達、加工(ほとんど手作業)、そして組み立てを行いながら、並行してオーディオネットワークの設計、製作、最後に塗装仕上げなど、比較的広範囲で製作期間も場合によっては半年ほどの作業となります。
そして、何といっても一番の楽しみは初めて音を再生する瞬間なのですが、期待通りの音が出てくれると苦労もひとしおです。

6.最後に

 いくつか製作したスピーカの紹介をさせていただきます。

  1. 少々大きめ(床置き)のスピーカセットですが、非常に気に入っております。中段のホーンは集積材を張り合わせた上に削り出した力作です!
  2. 卓上タイプスピーカセットです。7枚のフィンで構成された音響レンズで高音域到達範囲を左右に広げる効果があります。
  3. 自分用TVの外付けスピーカセットで、左右の低・中音用のスピーカと左右共通の低音スピーカを組み合わせた2.1chタイプです。
    なお、左上のスピーカは、6.5cmユニットでバックロードホーンを作ってみました。
  4. JBL Paragon 実物は横幅が2mを超えますが、1/5に縮小しました。スマートホンをつないで再生できるようにデジタルアンプを内蔵しています。
写真-1
写真-2

写真1:ALTEC A700 1/2スケールモデル
16cmウーハー(フロントホーン・バスレフ型)+ ウッドホーン + 2.5cmホーンツィッター

写真2:10cm(フロントホーン・バスレフ型) + オーディオレンズ付き4cm
ドームツィッター

写真ー3
写真-4

写真3:2.1ch 10cm, 6.5cmフルレンジ(ダブルバスレフ型) + 2.5cmドームツィッター、20cm密閉型ウーハー、写真内左上:6.5cmフルレンジ(バックロードホーン型)

写真4:JBL Paragon 1/5スケールモデル5cmウーハー(内蔵) + 2.5cmスコーカ + 2cmドームツィッター(内蔵)

【執筆者紹介】

井村 雅英(いむら まさひで)

ジョンソンコントロールズ(株)

営業推進統括本部 設計統括部

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釣 り

株式会社九電工

技術本部電気技術部

今吉 俊博

1.はじめに
  私は、工場関係の電気計装工事があるところ、全国各地を駆け回っています。趣味は「仕事」と言えれば、出張・転勤の多い私の部署では一番マッチしていると思いますが、残念ながらそうではありません。好きなことを挙げると「釣り」、「ゴルフ」、「自転車」、「土いじり」など多岐に渡りますが、飽きっぽい性格なのでどれも本腰を入れる訳でもなく、特に上手な訳でもありません。なので自信をもって皆様に紹介できるものはないのですが、一番進んで楽しんでいます「釣り」について紹介させていただきます。

2.釣り

  もともと釣りは幼少期より父に連れられて行っていました。学生時代は特に進んで行くという訳ではなく、誘われたら行くという程度でした。社会人になり、なぜか地方の沿岸部や離島での業務が多く、その様な場所では特に遊ぶところが多いわけでなく、観光地も早々に回ってしまい、すぐに時間を持て余すようになりました。ただ、自然がいっぱいな環境を逆手に取り、時間を見つけては大自然を相手にできる釣りに行くようになりました。

  初めのうちは気が向いたときにエサを買い、現地の方から道具を借りて釣りを楽しんでいましたが、次第にエスカレートしていき、現地で釣り道具を一式購入、仕事関係の方と徒党を組んで釣りに行くようになりました。現在も社内の釣り好きな方を定期的に集め、大海原へ出かけています。

  また、忘れてはならないのが、釣りは他の趣味と違い、魚との駆け引き以外の副産物があります。それは「釣果」です。もちろん釣り上げた魚のことです。これらを「食する」ことも楽しみの1つです。鮮度の良い魚を、自分の腕次第(私の場合ほぼ運)でいっぱい食べられるので、何事にも飽きっぽい私でも毎回集中して勝負しています。

  私にとって釣りとは、釣り自身を楽しむことは無論のこと、釣り好きな方々と友好を深め、釣果を美味しく食することができる楽・友・食の3拍子の揃った趣味と思います。

    

3.印象に残る釣果

  たいした腕前がある訳ではありませんが、私でも大物が釣れた!大漁だった!という印象に残っている釣りをご紹介します。

  私は、防波堤釣り、川釣りなども行いますが、食べることも目的の一つなので、大きく、美味しい魚が釣れる船釣りを好んで行っています。

   ※以下、魚名などは九州地方の呼び方で記述しています。

 1)対馬でタイラバ釣り

  「タイラバ」というタコやイカなどに似せたと思われるルアー(疑似餌)で釣る方法です。この時は、対馬での仕事が一息つき、現場の有志で釣りに行きました。対馬という土地柄、対岸に韓国を望み、船をさほど走らせずとも水深が100mを超える漁場と荒波がお迎えしてくれて、本土とは違う環境で大変楽しい釣りでした。釣果は魚群が濃い事もあり、ほぼ入れ食い状態の大漁でした。そのあとは馴染みの居酒屋に釣った魚を持ち込み、釣りメンバーと一緒に堪能しました。特にアラカブはどんな調理でも美味しく、刺身、煮つけ、唐揚げ、最後にみそ汁にしてもらい、余すことなく美味しく頂きました。

2)福岡で泳がせ釣り

  アジなどの生きた小魚を仕掛けに付け、そのまま海底まで落とし、根魚を狙う方法です。瀬や根と呼ばれる海底に点在する丘のような場所の上に船を付け、瀬から流されないよう船を操作し、瀬とその周りの魚を狙います。写真はその時に釣った約80cmのヒラメです。この時が初めての釣り方でしたが、まさしくビギナーズラックでした。家に持ち帰り調理しましたが、家で一番大きなまな板からもはみ出し、包丁が身の奥まで届かないなど、捌くのが大変でした。主に刺身にしましたが、身はプリプリ、贅沢に分厚く身を切って、大変美味しく頂きました。

3)福岡でイカの夜焚き

  夜中に漁船の照明を煌々と点灯させ、その光に寄ってきたイカをイカスッテというルアーを使って釣る方法です。人によってはルアーを10本ほど数珠繋ぎで釣る人もいて、食い気があると一度の投入で大量の釣果が期待できます。この釣り方で最高120匹も釣れたことがあります。その時の釣果が忘れられられず毎年必ず行っています。イカは何匹釣っても冷凍すれば魚のように味が落ちるという事はなく、むしろ味が良くなると言われています。120匹釣れた時は食べるのに3カ月掛かりましたが、全て美味しく頂きました。また人にお裾分けしても大変喜ばれました。

4)種子島でほろ引き

   いわゆるトローリングのような釣り方で、ルアーを漁船で引っ張り、それに食らいついてくる魚を釣る方法です。キハダマグロ、カツオ、シイラなどの回遊魚で、身の締まった魚がよく釣れます。写真は私が釣り上げたキハダマグロです。大きいもので2m程になるそうですが、種子島近海ではこのサイズが標準です。釣果は、一緒に行ったメンバーと刺身にして食べましたが、さすが鮮度抜群で、プリプリの食感、青物とは思えないまろやか味で美味しく頂きました。

4.さいごに

  近年、船釣りに行くと様々な方が参加されていると感じます。一昔までは船に乗っているのは常連の男性ばかりで、いかにも素人お断りみたいな雰囲気でしたが、最近は若い人達も多くなりましたし、一家総出や女性だけで参加される方などハードルが低くなったと感じています。また、竿、リール、仕掛け、エサなど全て船で準備してもらえる「手ぶらプラン」なるものやインターネットで簡単に予約ができるなど、素人の方でも簡単に参加できるようになっています。もし興味を持たれた方がいらっしゃったら、是非この機会に、大自然を満喫する開放感!魚との駆け引き!そして食べる喜び!を味わってみてはいかがでしょうか。

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レコードと昭和の原風景

太平電業株式会社

松本 浩

レコードの話です。

昭和38年(1963年)、テレビアニメの鉄腕アトムに未来の夢を馳せ、銀幕ではアラビアのローレンスでピーターオトゥールとアラブの文化に魅了され、初の衛星中継でケネディ大統領の暗殺が報道された年、私は福島県双葉郡楢葉町に生まれました。

駅裏の8畳3部屋の家で、祖父母と両親、父方の叔父叔母が3人、私と弟の9人での暮らしです。

お風呂、トイレ、釜屋(台所)は外にあり、雨の日は釜屋で料理した食事を、濡れないよう小走りで母屋の食卓に運びます。

その母屋は屋根からの雨漏りで、賑やかな洗面器の雨音演奏を奏でていました。

親戚が多く、毎年お盆に叔父叔母が家族を伴って里帰りすると、総勢20人ぐらいが狭い家に泊まります。

毎回、叔父叔母の子供のころの泣き笑いの四方山話で宴は大いに盛り上がり、私といとこ達はそれを楽しく聞いているのが好きでした。

そんな我が家でも、高度成長の時流に乗って、家の様子が少しずつ変わってきました。

まず裸電球が蛍光灯になり、四本足の白黒テレビが茶の間に陣取り、台所には冷蔵庫とガス炊飯器、お風呂場には絞り付き機能の洗濯機、続いて電子レンジ、カラーテレビが家に入ってきて、みるみる生活が便利になり、豊かさを実感できるようになりました。

父は、音楽とオーディオが趣味で、自分でべニア板と綿でスピーカーを作ったり、アルミの板の上にトランジスタやコンデンサを組み込んでラジオやアンプを作ったりして、好きな音楽を聴いていました。

1985年、営林署に勤めていた父が、木材を安く手に入れることが出来て家を新築しました。

時が経ち、2011年の震災で我が家は避難を余儀なくされ、私の家族は成田に住み家を移し、両親は2015年に実家に戻り現在に至っています。

少し痴呆になり、孫に何回もお小遣いをあげようとする両親ですが、たまに実家に帰り昔話をすると、戦争と高度成長の昭和を真面目に、強く、逞しく、イキイキと生きて来た人達の話は、私に勇気と元気を与え、あの人たちのように希望をもって生きていきたいと思わせてくれます。

今年の初めに父から連絡がありました。

断捨離を始め、買い取り業者を家に呼び、古いオーディオの山と相当の数のレコードを処分したそうです。

その時の買取価格が全部で3,000円。

父は売っては見たものの、その晩あまりに安い価格に腹を立て、翌日わざわざ一山越えて買い取り業者から買い戻して来たそうです。

私が帰省した時に、まだそのレコードがあったので見てみると・・・

出てきました懐かしのヒット曲!!

父の趣味からは、伊藤ゆかり、黛ジュン、リリイ、北島三郎、山本譲二、さくらと一郎、寺内タケシとブルージーンズ、風・・・

私のコレクションからは、当時大ファンだったアイドル桜田淳子、松田聖子、クイーン、ドナサマー、スージークワトロ、チューリップ、寺尾聡、アリス、サントラ盤・・・

今、巷はアナログのレコードブーム。

2020年上期に、アメリカでは1980年代からの30~40年間で、初めてレコードがCDの売り上げを上回ったそうです。金額にしてCDの売り上げが約138億円、レコードが246億円です。(アメリカレコード協会)

私は、家にあったEP盤だけを、レコードショップで処分しようと、東京に持ち帰りましたが、処分する気持ちになれずに、未だに部屋の棚の上に置いてあります。

このままもしかすると、再びアナログの温かみに触れたくなってプレーヤーを購入し、針を落して、懐かしいあの頃の音楽に包まれ、駅裏の我が家での生活を思い出してノスタルジーに浸りたくなってしまうかもしれません。

ちなみに、父は踏ん切りがついたらしく、買い戻したオーディオと残りのレコードを、別の買い取り業者に引き取ってもらったそうです。

松本 浩(まつもと ひろし)

太平電業株式会社

東京支店 執行役員 支店長

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日本全国御朱印巡り

株式会社 中電工

本坊 和樹

 みなさん、「趣味は?」と聞かれて何と答えますか?自分がよく聞くのは、ゴルフとか車、バイクというのをよく耳にします。

 入社当時は、先輩から「仕事はしっかりして趣味も持たないと」と、言われても何も想像できませんでした。30代になって客先主催のコンペに誘われてゴルフは始めました。10年ほど経過していますが、それほどスコアは自慢出来るほどではありません。

 そんな折、5,6年ほど前に神社や寺にお参りした際に朱印を頂けることをテレビの情報番組で知りました。新年の初詣やお祓い等で年間でも1回程度しか行くことが無いと思います。これは、趣味としてはいいのではと思い近くの神社や寺を探してみました。

 当時、山口県周南市に住んでおり、(現在は、広島市に単身赴任中)近くには、学問の神様を祭る『防府天満宮』がありました。早速、休みを利用して参拝し御朱印と御朱印帳を頂きました。

自分としては、満足して家族に見せたのですが、冷ややかな反応で期待外れでした。これを機に山口県内を子供の部活動の送迎時に御朱印を集め始めました。また実家のある鹿児島への帰省(当時はコロナは無い)の際は、天孫降臨の地「霧島神宮」や周辺の神社等を参拝し、年末年始に東京へ行った際には、「明治神宮」や「鳩森八幡神社」、「東郷神社」などに行きました。

中国地方では、世界遺産でもある「厳島神社」、10月を神在月(かみありづき)と言われる島根では「出雲大社」の御朱印、福岡の「太宰府天満宮」の御朱印も頂きました。

神社や寺にお参りする人が増えており、歴史ある建築物や仏像の鑑賞、パワースポットとしての魅力など、「御朱印集め」もその一つになっています。以前は年配の方が多かったようですが、今では若い人もよく見かけるようになりました。修学旅行生だけでなく、海外からの観光客が御朱印帳を手に社寺をめぐるなど珍しくありません。やり始めたたら、魅力に取りつかれてしまいます。

 御朱印帳は、大きな神社や寺院ならばだいたいどこでも入手できます。価格は800~1,500円くらいです。御朱印代は、各所で異なりますが、300~500円程度です。(マナーとしてお釣りをもらうことのないようにしましょう)

最近では、清め塩を購入するようになりました。「御神塩(ごしんえん)」とも呼ばれますが、神様の御前に供え、お下げしたものです。海の恵みである「塩」自体に浄化のパワーがありますが、神社で分けて頂く「塩」は、神様の霊力が宿った強力なものです。基本的には、神前にお供えたり玄関前に盛り塩するなどがあります。その他には、仕事の出張や友人との旅行、実家等への帰省の際に「塩を携帯する」かたもおられるそうです。

私は主に自宅でお風呂の入浴剤と料理に使用しています。

最後に老後の趣味になるかどうかは分かりませんが、仕事はしっかりしていろいろ趣味を作っていければと思っています。

以上

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「“私のボランティア”」

株式会社三興(三興コントロール株式会社)

松山 聡

 「コロナ」を耳にしない日は一日も無い生活が1年以上続きますが、あらゆる事が一変し、業界によっては存続が危機的な状況にまで追い込まれ、大げさかもしれませんが時代の転機を迎えた印象もうけます。
 そんな状況下により私が登録しているあるサイトからメールのお知らせが届くようになったのもコロナの影響でした。

 サイト・・・と聞くと「怪しいサイトかぁ!?」と想像される方もいるかも知れませんが、そこは期待に反して献血です。(怪しい話題はそもそもコラムに載せられませんから・・・)
 自粛、引きこもり、不要不急の外出禁止・・・等の影響で献血者が減ってしまい、血液が不足する事で日本赤十字社から登録者への呼び掛けでした。
  何のとりえもない自分ですが、お陰さまで健康面は恵まれている事により、ボランティアの一環として献血を15年前位から現在まで続けており、以前は400mlの全血献血でしたが3ヶ月のインターバルが必要となる事から、今は数週間のインターバルで済む血小板成分献血及び血漿成分献血の成分献血を続けています。
 それにより年に4~5回は献血が可能となり37回の献血実績は自分の誇るべき回数と思い込んでおりましたが、先日その回数をはるかに上回る200回越えの人と出会う機会があり、上には上がいるものだと驚きました。

 献血を経験されない方はもともと血液が薄く、残念ながら献血に適さない方もいるかとは思いますが、中には忙しくてそんな暇は無いという理由で足を運ばない方が居るかとは思います。
  更には注射の針を打たれ「痛み」が伴う訳ですから、痛みを味わいにわざわざ献血会場まで時間を作って自ら足を運ぶ気にはならない・・・と言うのが本当の理由ではないでしょうか?

 ご存知の通り献血は土日でもやってますし、待ち時間が少なく済めば400mlなら問診、血液検査、献血後の休息迄 1時間程度で終わります。
 そもそも私が献血へ通い始めた切っ掛けは、営業で外回りをしている時に眠くて眠くて仕方なく、何処か暫く横になれるところは無いか考えていたら「献血」ののぼりと「血液が不足していま~す!」の客引きみたいなお兄さんの声が耳に入り、よし、ここで暫く寝ることにしよう!・・・と思ったのが切っ掛けでした。
 結果的には一睡も出来ずに献血を終えましたが、人の為に貢献した思いで気持ちが充実し、決して仕事をサボった・・・みたいな罪悪感は全くありませんでした。
 その日はもちろん眠気も覚めてたので、仕事をバリバリこなし一日を終えた記憶として残されております。

 確かに献血は痛くない・・・とは言いませんが、この際なので読者の皆さんに是非献血に興味を持って頂くために、私が感じる献血のイメージをお伝え致します。

1. 会場が綺麗 都内は新宿、渋谷、有楽町、秋葉原・・・と色々ありますが、何処も会場は新しくスタッフも優しく対応してくれるし、飲み物とお菓子、アイスクリームがタダで頂けます。

  1. ドリンク:お茶、コーヒー、スポーツドリンク他
  2. お菓子:お煎餅、クッキー、チョコレート
  3. アイス:バニラ、ストロベリー、チョコミント他
  4. 粗品:回数の節目にもらえる
  5. 冊子

 凄かったのは名古屋駅の献血会場で超高層階にあり眺望が良く、冬の夕方からはカップル達には絶好のデートスポットとなります。

2. 長時間でも飽きない
 400mlの場合献血自体は10分程度で終わってしまいますが、成分献血の場合は1時間弱におよびます。
 そこで成分献血の場合は時間を持て余してしまいますが読書する人が多く、テレビやDVDを観たり、私の場合は
 Netflixを観れば時間はアッという間です。

3. 健康のバロメーター
 献血し終えた翌日には採取した血液の分析結果がメールで届きますので、血液の成分で今の健康状態が把握出来きます。
 更にトレンドでも確認できるので、過去からの推移を確認する事で健康維持管理にも役立てられます。

4. 貢献度抜群!
 なんと言ってもほんの一時的な痛みなど苦にならない、健康の御裾分けです。 自分の血液が誰かのために本当に役
 立っているのか直に知る事は出来ませんが、幾ら健康な人間であっても自分の一生の内で病や怪我で輸血を必要とする場面に何時出くわすか分かりません。
 その時になって初めて献血の有難さを理解するのかも知れませんが、強制力の無い一人ひとりの善意によって成り
 立っている献血な訳ですから、経験して有難さを実感する以前に自分が出来る事を出来る内に実行する事で、それが尽力へと繋がる切っ掛けになると思います。

 今回このコラムを切っ掛けに日本赤十字社のHPを調べたり問い合わせもしたのですが、これからの少子高齢化の事態に向けての血液の確保や今回のコロナの影響で血液が激減したりして、安定確保が大きな問題になっている様です。
 前者の少子化については、小中学生向けに模擬献血を実行し献血に関する知識の普及啓発を行ったり、高校生は学校献血やセミナーなどを行い、人気度の高いイメージキャラクターを起用して若い世代への呼び掛けを実施している様です。
 また後者に於いては水泳の池江璃花子さんの病やコロナ禍の一部報道により、献血会場に人が大勢集まり混乱を招き一時期に集中しない様な継続した献血への呼びかけに努力しているようで、私自身も血液不足の報道後直ぐには行かない様に気を付けています。

 また今回改めて知った事ですが、輸血ばかりに使用されているのかと思ってましたが、半分以上が免疫グロブリン製剤と言うくすりの原料となっている事です。
 一時期コロナの治療薬としても脚光を浴びましたが、現状は神経系の病気の治療にとっても無くてはならないものとなっています。  

 この様な形で人間誰もが血液無しでは生きていけない訳ですから、私の文面だけでは説得力に欠けますが、もし献血に対しての見方が変わりましたらなるべくなら勤務時間中は避け、献血会場に足を運んでみては如何でしょうか?

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ゴルフは好きですか?

株式会社オーテック

  環境システム事業部
技術統括部 大渕 学

1.執筆のきっかけ
 先輩から計装士会に掲載されるコラム執筆の相談があったのは12月、弊社の順番が回ってきたとのことだった。
心優しき私は断ることもできず承諾してしまった。今更ながらにやんわりとお断りをするべきだったと後悔しているがもう遅い。「やっぱりできません」とは言えない時期になってしまった。仕方がない、とPCのキーボードに向かっても何も出てこない。頭に浮かぶのはいかに文字数を増やすか、句読点て行を稼ぐか、などと小学生が作文を書くときのような姑息な考えしか出てこない。何を隠そう私は作文が大の苦手で小学生のころの夏休みの宿題である読書感想文は半分以上親に頼っていた状況なのだ。

2.とりあえず書き始めなければ
 さて、何を題材にしようか?と考えてみた。長きにわたり計装の仕事をしているがコラムに載せられるような実績はない。シンボル的な建物建設に携わったこともないし、人に話すような画期的な施工を行ったこともない。人に言えない恥ずかしい仕事はあるそれは書けない。となると、業界のことではなくなってしまうが「趣味や身近なことついて書くしかないだろう」と結論付けた。
 身近なことって何? コロナ禍?私が語れるものではない。恋愛?いい年こいて・・・。車?乗れれば良い。バイク?旧車は好きだが持ってない、スポーツ?ン、これがあった!長年続けているスポーツ(趣味)ゴルフがあるじゃないか!!ということでゴルフのことを書いてみることにした

3.ゴルフとの出会い
 私がゴルフと出会ったのは25歳のとき。義父に誘われてほぼ新品の道具一式を譲り受け、数回の練習の後、群馬県、赤城のゴルフコースでデビューした、スコアは150位だったと記憶している。その当時は未だゴルフの楽しさは味わえず、その後は、仕事も忙しくゴルフからは遠ざかっていたと思う。上司の勧めもあり、ゴルフを再開したのは10年位後になった頃だと思う。A・O・Nが活躍していた頃でまさにゴルフブーム。景気も良くてゴルフ場建設も盛んでクラブハウスの新築工事には数件携わったが、まだゴルフには興味薄で、コースでプレーをするのは年に4,5回程度のペースで、電工手袋でプレーするような状態だった。スコアも120前後だったと思う。
 ある日、会社の仲間と茨城県の霞ヶ浦国際GCでプレーした時のこと、数組前でプロレスラーのジャイアント馬場さんがプレーしていたことがあった。後輩の一人が握手をしてもらって喜んでいいたのが思い出される。

4.ゴルフにはまってきた
 ゴルフにはまり始めたのは子供が小学校を卒業したころだろうか、休日を持て余すようになり、打ちっぱなしの練習場にもよく通うようになった。業界のコンペへの参加なども増えて「月一ゴルファー」になったころからゴルフが楽しくなってきた。人とゴルフの腕を競うというのは何とも励みになりこの頃からどんどんはまっていくことになる。茨城県在住であったためコースや練習場も近くて安かったので環境には恵まれていた。
 PCにはそのころからのデータが保存されている。2006年から2020までの15年で約400ラウンドしていた。平均すると年間26ラウンドほどで決して多いほうではないだろう。クラブを替えれば上手くなる気がしてとっかえひっかえ手を出した。新しいクラブでスイングするだけで良い球が出る妄想も楽しかった。誰もが陥る罠だと思う。結果はさほど変わらないのだが・・・。
 10年ほど前からは仕事の都合で横浜に住んでいた。車もなかったのでコースへ行くのは難しい状況であったが、“偶然にも”社宅から徒歩2分の所に「打ちっぱなし練習場」があり、またしても良い環境に恵まれた。仕事から帰り、食事をして、ふっと思いついたら練習ができるのだ。週に3~4回通いストレス解消にもなっていた。
 上司の勧めで再開したゴルフは仕事の上でも役立っている。取引先の方と半日一緒にプレーしながら仕事の話やプライベートの話をしていると、おのずと親しくなることができ、相談やお願いをすることができる間柄に発展することもある。「社会人としてのツールとしては有効だ」というのは納得できる。

5.最近のプレー
 ベストスコアは7年ほど前に記録した78だ。林に打ち込んだはずが木に当たってフェアウエーに戻ったり、すべてのことが良いほうに転んで出た結果だった。年間アベレージも5年ほど前は88までいき、さらに上を目指したがその後は下降の一途をたどっていて、もはや90切りも難しくなっている。
 職場では4人がスケジュールを合わせてゴルフに行くのはなかなか難しい。そこで私は「一人予約ランド」なるものを利用している。自分の都合の良い日に予約を入れれば見ず知らずのゴルフ好きとプレーするというものだ。黙々とプレーする人、会話を楽しみながらプレーする人、若い人、そうでない人、様々な人と出会う。これも一つの楽しみ方だと思って時々利用させてもらっている。
 一昨年、娘がゴルフデビューした。親ばかで道具を一式買い与えてしまったが一緒に練習やプレーをするときは、やはり楽しい。ゴルフは性別、年齢に関係なく一緒に楽しめるスポーツと言うがその通りだ。
 この先、いつまでゴルフを楽しむことができるがわからないが健康のためにも続けたいと思う。そしてまた90を切れるように少し頑張ってみたい。
  皆さん、ゴルフは好きですか?

2012/10/ 2 15:08

茨城県のスパ&ゴルフリゾート久慈のロッカールームでの写真で、ロッカーNo.1にはアマチュアゴルファー中部銀次郎さんの名前が刻まれていた。伝説のゴルファーといわれる中部銀次郎さんが唯一コース設計に携わったそうだ。この頃、ゴルフの本にもはまっていて中部銀次郎の本も読みあさっていたので感動でした。

2013/11/23 12:54
お気に入りの道具一式

最後に、大切な紙面を個人の思い出話とゴルフ自慢に使ってしまい大変申し訳ございませんでした。

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コラム

義父の携帯電話

千代田システムテクノロジーズ株式会社
国内計装セクション2
冨岡 邦夫

 先日、我が家全員の携帯電話(5台)の更新(機種変更)に合わせ、義母の携帯電話も更新(機種変更)する事にして、遂に義母(73)はスマホデビューする事になった。義母は15年前には携帯電話(ガラケー)を使用開始していたが、スマホは高価で操作が難しそうだからと、ガラケーを使い続けてきた。流石に世の流れには逆らえず、孫たちの後押しもありスマホデビューする事になった。ガラケーからスマホへの機種変更は同じ会社であった事もありメール引継ぎ等の手続きが簡単に済み、内部データもそれ程なかったため更新後約2時間後にはLINEまで出来るようになっていた。

 一方、義父(75)も約4年使い続けた格安スマホのバッテリーがもたないため機種変更を計画していたらしく、義母の機種変更に同席する事になった。前回機種変更前の格安スマホを契約した際は、義父単独で携帯ショップへ向かい契約手続きを完了させたが、義父の思いがお店の店員になかなか伝わらず、相当苦戦して手続きを完了させた苦い記憶があり、今回は私と妻にお店の店員との通訳を頼みたいとの事で、同席する事になった。機種変更へ向かう際、私と妻からも義母と同じ機種変更を推奨したが、簡単には首を縦には降ってもらえなかった。

 お店での機種変更手続きは、義母を妻が対応し、義父を私が対応する形で契約手続きを開始した。義母の手続きは前述の通り簡単に事が運び、何一つ躓かずに手続きが完了した。義父はとにかくコスト重視で、月々の支払いが現契約(格安スマホ)以下でないと契約しないと言い出し、今回のお店には格安スマホのラインナップがないため、結局契約出来ず現契約(格安スマホ)のお店に問い合わせる事にするとの事で、お店を後にした。

 次の土曜日早朝、妻の携帯に義父から連絡が入り、格安スマホを機種変更したからセットアップをお願いしたいとの事で、妻は義母と同じ機種を選ばなかった事を理由に、機種変更したお店にお願いして欲しいと一度はボールを義父に返したが、再度依頼され次の日(日曜日)に私がセットアップする事になった。今回義父の機種変更手続きは、店頭で手続きしたのではなく電話対応のみで機種変更手続きをしたようで、電話の相手は若い女性だったらしく、家族全員が上手く乗せられたものと思っていた。その若い女性曰く、セットアップは以前よりも簡単で、分からない場合も電話対応で全て操作を指示してもらえるとの事で、顧客獲得のため電話対応サービス員の向上を図っているとの事だった。最初は新型の格安スマホが届いた平日の昼間に義父がセットアップを開始したらしいが、結局義父と電話対応のサービス員の言葉が噛み合わず、セットアップを断念し妻に電話してきたとの事だった。

 頼まれた私も格安スマホのセットアップを行った事などある訳もなく、先ずはマニュアルを読み始め、手続きの順番から確認しはじめると、横で義父が電話の向こうの人と話して欲しいの一点張りで、既に電話をかけ始めサービス員と話し始めた。直ぐに義父は私に代わって欲しいとの事で代わってみるとサービス員方も困っていて、やはり言葉が通じていない事が分かった。その後、私はマニュアルを基に手続きを進め、この電話で手続き出来る内容が電話番号の引継ぎのみである事を知り、義父にその旨を伝えると更に困った表情を浮かべていた。電話番号の引継ぎには数時間かかる事をサービス員から指示され、セットアップは一旦中断し夕方再開する事で、残りのセットアップはアドレス帳とE-メール及びLINEの再開手続きである事を義父と確認し、E-メールとLINEの再開手続きには登録時のパスワードが必要である事を伝えると、困った表情を浮かべ一旦お開きになった。夕方、セットアップを再開し電話番号の引継ぎが完了したが、E-メールとLINEが開通出来ない事が理解出来ず、イラつきながらセットアップを再開し、LINEの方は妻が得意で簡単に再開する事が出来た。E-メールのアカウントは旧機種の携帯内に入っているため分かったが、パスワードはそれらしいものをいくつか入力してみたが全て違うものだったらしく、パスワードの再発行手続きを調べ私的には簡単にできる事が分かり、その旨を義父に伝えるとこの先は平日に自分でやるからと、そそくさと帰ってしまった。もう少し義父が我慢できていれば、1時間以内でセットアップ完了出来るはずだったのに、我慢の限界だったみたいで後味の悪い終わり方になってしまった。

 更に一週間が過ぎ気になっていた義父のセットアップについて妻に聞いてみると、面倒くさいのでほっといてるとの事で、今度は妻がご立腹の様子でした。まだセットアップが完了していない事を察知し、妻から義父へ連絡させセットアップを再開しようと声を掛けると、飛ぶような勢いで義父が来た。E-メールのパスワードの再発行手続きを手順通り行っていくと、本人確認で登録している電話からでないと申請が出来ない事が分かり、登録電話が義父の自宅電話(固定電話)のため、今度は義父の自宅へ移動し手続きを再開したところ、約30分でE-メールも開通し、不通になっていた約3週間分のE-メールが一斉に届きとても喜んだ。

 その後、今回セットアップに必要となった、ID、アカウント、パスワード全てのデータを紙に記録し、更にその記録を義父携帯の写メ、私の写メ及び妻へ転送し共有する事にした。結局、携帯電話の機種変更に必要な事は下記の通りで、下記に必要な記録をきちんと保管しておく事が大事で、特に年長者殿のユーザーはその保管が出来ていない人が多いらしい。
 ① 携帯番号引継ぎのためのMNP申請
 ② アドレス帳の引継ぎ(通信、記憶媒体、または手動の何れかによる)
 ③ 契約会社のマイページ設定
 ④ E-メール再開通手続き(要アカウント、パスワード)
 ⑤ LINE再開通手続き
 ⑥ 写真引継ぎ(通信、記憶媒体、機種による)
 ⑦ その他、必要アプリの引継ぎ

 今回分かった事は、年長者殿の携帯契約の際は必ずご子息が同席し、契約の際はご子息が携帯会社のご担当と話すことが望ましい。E-メールのパスワード再発行手続きを電話対応にて進めていた際、義父がサービス員と会話すると全く通じていなく、サービス員は申し訳なさそうに、契約者さんではなくお隣におられる話が分かる方に代わって頂けないでしょうかと何度も言われ、それも我慢の限界に繋がってしまったものと思われる。また、後で分かった事だが、前回(4年前)の契約時最初に機種代(ハードウェア費)を払っていたらしく、月々の支払いが安い理由はそれだった。結局義父の費用はイニシャルコストとランニングコストを考えると、義母の同コストを比較すると若干は安いかもしれないが、手続きにかかった日数とMHより同等かそれ以上にも感じられる。

 最後に、本書を読んで気を悪くされた方には申し訳なくご容赦下さい。

以  上

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コラム

「初めての北陸地区」

株式会社トーエネック
営業本部 営業部 技術提案グループ
柏原 達司

はじめに

 今回は、計装士会の年度行事であります施設見学会について、平成30年中部・北陸地区において開催しました実施例を元に、計装士会の活性化に向け書いてみたいと思います。

現 状

計装士会は、平成9年に発足し現在23年を迎えます。2,367名 (令和2年1月15日現在)の計装士が会員として登録されています。2,367名というと現在の計装士1級、2級を合わせた資格取得者が約34,000名ですのでかなり少ない(7%)と感じます。
 計装士会は、下記の7地区に分けられ年度の活動をしています。
 ① 北海道・東北地区
 ② 関東・甲信越地区
 ③ 中部・北陸地区
 ④ 近畿地区
 ⑤ 中国地区
 ⑥ 四国地区
 ⑦ 九州・沖縄地区

 この中で、「中部・北陸地区」は愛知県を中心とした中部地区と、富山県、石川県、そして福井県の北陸地区を参加対象地区としておりますが、毎年度の見学会の実施を中部地区、主に名古屋市およびその近郊にて実施してきました。当然見学会への参加者は地元の計装士会会員(および一般参加希望者)であります。北陸地区からの参加者はありません。 この状況は、他の地区においても同様です。 各地区共、広範囲にわたり、中部・北陸地区での北陸地区の様なエリアは多くあります。特に北海道、沖縄地区は大変です。

活性化に向け

計装士会の入会者数は、前述しましたように約2,400名前後を推移しています。少子高齢化による現在の労働者数が問題となっていますが、その状況は計装士においても現れると思います。今後、計装士会に参加される会員の減少が予想されます。その前に何某かの対策を講じなければなりません。
 その対策の一つとして計装士会の今後に向けて現状の継続ではなく活動の範囲を広げることを考えました。今回の北陸地区での開催目的は、将来的により多くの計装士会員の入会を目指さすことにあります。

北陸地区

活動の範囲を広げるべく平成30年度は、今までの偏った地区活動を補正し、尚且つ地区特有の技術等を再認識すべく、北陸地区在住の計装士を参加対象とした「北陸地区」での活動を計画・実施しました。(開催報告は、「計装コミュニケーション 第44号(2019年3月)」を参照願います)
 これまでは北陸地区で実施したことはなく、見学会に参加した人はいなかった訳ですので、その状況を変えるべく北陸地区での計装士会会員に向け開催を計画したわけです。
 集合場所として設定した富山駅は、名古屋駅からJRの特急(在来線 JR特急「ワイドビューひだ」)を利用して4時間弱、JR新幹線を一部(名古屋―米原)利用しても30分程度しか所要時間は短くなりません。現在は、新幹線にて東京から金沢まで行くことができます。最速で2時間30分程度で移動することができますので、まさに近くて遠い中部地区と北陸地区といえます。
 上記の交通事情以外にもそれまでの実施実績のない地区での開催については、当然のごとく問題がありました。特に大きく分けて下記の2つがありました。

① 見学会に参加をお願いする計装士の募集について

参加をお願いします計装士の募集につきましては、北陸地区では初めてですので当然の如く案内を出す関係会社の選定から解決をしなければなりませんでした。まず計装士会事務局にお願いし、北陸地区に出先を持つ関東地区の企業をリストアップ、その会社の窓口の方に案内書を送付して、北陸地区の出先に向け参加を呼び掛けていただきました。しかし、いきなり案内を受けても何人の方が検討をされるのか不安でした。案の定、電話があったのは1名。関東地区にてお願いをしました企業の方からだけでした。

当初は、せめて最低5名程度の参加者か確保できないかと考えていましたが、その5名も集めることができず、非常に甘い想定であったと悩む毎日でした。
  そこで助け舟を出していただいたのがアズビル株式会社の加藤地区幹事です。アズビル株式会社殿は北陸地区にも拠点を構え精力的に営業活動をされています。そこで、加藤地区幹事と二人で主な関係先を個別に訪問し計装士会の施設見学会を説明し、また他の関係会社にも参加を呼び掛けに回った次第です。「計装士」についての意識の掘り起こしから始まりました。参加者は、我々幹事も含めてですが何とか14名で実施することが出来ました。

② 見学先として設定する施設について

二つ目の懸案事項は見学先です。先ずもって北陸地区に於いては、都市圏では当たり前のプラントまたは生産ラインを持った工場等の選定にはかなり苦労しました。インターネットに頼ると一般の方が参加される普通の見学会となってしまいます。何とか計装士会らしく内容を盛り込んだものにしたいと思案に暮れました。
 そのような状況におきまして、今回、富士電機関係会社の皆様のご尽力をいただき下記2社の施設を見学することが出来ました。対応をしていただきました皆様には重ねてお礼を申し上げます。
 施設① 北陸電機製造株式会社(富山県)
 施設② 発紘電機株式会社(石川県)
 見学先は決定したのですが、2社の距離は概ね100kmあり、当然移動はバスになります。細かなことですがバス会社はどこにお願いするのかから始まり、ルートの設定等、決めなくてはならない事項は多々ありました。
 東京の全国展開のバス会社に依頼をし、提携会社の現地のバスを利用しました。集合場所の富山駅から富山県滑川市(施設①)、続いて石川県白山市(施設②)へのルートを設定し、金沢駅および富山駅にて解散する行程となりました。

以上の様々な課題を解決することが出来、平成29年に企画しました北陸地区での見学会は足掛け2年をかけ無事終わることが出来ました。

これから・・・

最後に北陸地区の見学会を終えて、今後の展開を考えてみたいと思います。
 中部/北陸地区では、せっかく平成30年に北陸地区にて開催出来たのですから中部地区との交互開催を目指し定着した形に持ってきたいと思います。
 計画では、北陸新幹線も金沢から敦賀を経由し大阪まで延伸されます。また名古屋にもまだ計画段階ですが接続される話があるように聞いています。名古屋、または大阪との距離が現在よりかなり近くなります。北陸地区は中部・北陸地区ではなく関東圏、関西圏からも十分に
移動可能なエリアとなっていきます。中部・北陸地区に限定せず、他地区からの参加も視野に入れた計画を今後練っていければと思います。
 参加計装士数について減少傾向が想定されるならば、歯止めをかけるべく対策を講じなければなりません。今回の北陸地区の様に他地区においても何某かの働きかけをしなければなりません。
 まず地区幹事の増員です。現在実施していない他のエリアにも地区幹事を配置します。現地の活動エリアから未実施エリアに出向いていって実施するのでは効率的ではありません。当然費用面での見直しも必要です。北陸の場合は、前述しましたように協力していただけるメンバーにも恵まれ、総力で何とか形になったという思いです。一人でできるものではありません。
 次に実施地区を定型化します。定期的に実施する地区を設定することにより計装士の皆さんのスケジュールに組み込んでいただけるのではないでしょうか。また前以て準備や計画をすることが出来ます。
 以上、今回の北陸地区での見学会を終え、些細なことですが、感じたところを述べさせていただきました。
 計装士会の今後に向け、会員数の増加と会の活性化を目指していけたらと思います。
 最後になりますが、これからもより多くの会員に支えられ、明るく開かれた計装士会として発展していくことを祈願いたしまして筆をおく次第です。
                                             以  上