カテゴリー
コラム

今は昔 1975年頃

   会元計装士会事務局長

村尾 高明

1.海外で冷や汗をかいたエピソード

 当時、当時サウジアラビアでは、短期入国(トランジット扱い)のときには空港のパスポートオフィスにパスポートを預けなければ入国できませんでした。予約したホテルでは短期入国者はパスポートをパスポートオフィスに預けなければならないことを知りながら、パスポートの無い外国人は宿泊させられないと断られたのにはとんでもない所に来たと困惑しました。あちこち探して夜中の3時ころ、やっとパスポートの提示を求めない怪しげなホテルに部屋を取ることができました。
 入国時滞在が許可されたのは3日間だけでしたが、とてもこの期間では仕事にならなかったので滞在延長申請をすることなく2日間不法滞在しました。
 スポンサー(身元保証人?)に滞在理由のサポーティングレターを書いてもらい大事に身に付けていました。
 そして、入国6日目予約した飛行機に乗るべく空港に行きました。出発30分前に空港のパスポートオフィスの窓口に飛行機を予約した出国者のパスポートが約60冊並べられていて、各自探して自分のパスポートを取りその後チェックインするようになっていました。ところが、私のパスポートはそこに無かったのです。
 搭乗手続き終了まで残り時間30分程でした。滞在許可は切れているしパスポートはないし進退窮まった気持ちで、サウジアラビアの猛暑の中、汗が急に冷たくなりました。

2.その冷や汗ものの結末

 窓口の人に相談しましたが、話を全部聞いて理解したあとで薄ら笑いをしているだけです。
 空港ビルの隣のビルにパ スポートコントロールと書いてあったのを思い出しそのビルに駆け込みました。誰か職員を見つけて相談したい気持ちで、1階の廊下を突き当りまで行っても誰も通りません。2階に上がって初めて清掃扶がバケツを持って床を拭いていました。何を言っても3階を指差すだけです。
 何しろ残り時間はありません。
 3階に駆け上がっても廊下だけで人はいません。歩いて行くと廊下の中ほどの左側にアラビア語にPassport Office Managerと英語併記の扉がありました。
 助かった気持ちでノックしても返事はありません。部屋に入りましたが誰もいません。
 部屋には事務机が一つだけの閑散としたものでした。今は行動あるのみと机の引出しを開けました。鍵は掛かっていません。一段目はどの引出しもからっぽです。
やっぱり駄目かと思ったとき、「あった」左袖の2段目にありました。私の赤いパスポートだけが無造作に放り込んでありました。パスポートをつかんで廊下が無人なことを見定めて、見つからないうちに、捕まらないうちに階段を駆け下り空港ビルに駆け込みました。
 スポンサーのサポーティングレターに効力があったのでしょう、もう僕だけしかいないイミグレーションで出国スタンプがポーンと押されました。

3.日本では考えられないような「海外での常識」

 パキスタンのカラチの、サウジアラビヤ大使館にサウジアラビアの入国ビザを申請したところ、何故日本人がパキスタンでサウジアラビアの入国ビザを申請するのか理解できない、だから、日本大使館の保証文章を貰ってくるようにと言われた時の体験。
 日本大使館へ相談に行ったところ、職員のパキスタン人は親切に対応してくれましたが、日本人は話も聞かず全く相手にしてくれませんでした。日本人の大使館員に「こんにちは」と声をかけても完全無視でした。困ったときに助けてくれるのが大使館だと思っていましたが、それは間違いです。日本大使館は決してあてにならないことが海外での常識です。

4.思い出すと恥ずかしいこと

サウジアラビヤのジェッダにあるスークのはずれに趣味の切手売りが居ました。
 ちょうど 夜店のような一帖ほどの板に切手を並べて売っていました。
 そのとき見た外国の切手は見慣れないせいか、色鮮やかに美しく見えたので店の老人に思うまま誉めました。敬虔なイスラム教徒である老人はその切手を私にくれました。お金を払うといっても、切手を返すといっても聞き入れてもらえ ませんでした。
イスラム教徒の国では必要以上に誉めることは譲ってくれということと同じ意味であることを、その時つい忘れていたのです。その切手は10円程度の切手が並ぶ中で2000円くらいしました。

5.日本入国の裏技

 入国時、飛行機を降りた時点からロビーに出るまでどこからかカメラで監視されていると考えて間違いありません。ですから税関を通過するときにはすでに誰が怪しいかをコンピュータなどで係官に連絡済みです。そのため心配事があるときは、飛行機を降りたときから当たり前のような態度をしていなければなりません。どの係官の列の流れが速いか、係官は男性か女性かもチェックポイントです。(羽田の税関員のはなし)